自分が人から愛されているか、好意的に思われているか否かに心を奪われている人~自己愛講座5(補足)

前回の自己愛講座5について、少し補足させていただきます。

エーリッヒ・フロムの考える「愛」とは?

前回引用したエーリッヒ・フロムの「愛するということ」には、現代人の愛に関する3つの誤解が書かれていますが、その一つに「愛の問題とは、いかに人から愛されるか」ということ。
つまり愛することは簡単だが、人から愛されることは簡単ではないという認識です。

しかしフロムはそれは誤りであり「いかに人から愛される存在となるか」に心を奪われている人は、決して人を愛せるようにはなれないとまで言い切っています。
つまり「愛することは簡単」という考えも誤りということです。

またフロムの「愛するということ」を読んでいますと、ここでの「愛」とは恋愛感情に限定されず、目次に「兄弟愛・母性愛・自己愛・神への愛」などとあり、また愛とは「世界全体に対して人がどう関わるかを決定する態度」(P.76)と書かれていますように、相手のことを大切に思う気持ち全般を表していると言えます。

ここで自己愛講座1の、精神分析における自己愛的な性格構造の定義を再掲致します。
(フロムも精神分析家です)

「他者から肯定されることによる自尊心の維持をめぐってパーソナリティが構成されているような人」

自己愛的な性格構造の再定義

フロムの愛に関する定義と、冒頭の現代人の愛に関する誤解、そして精神分析の「自己愛的」ということの定義を合わせますと、自己愛的とは次のように再定義することもできると思います。

「自分が人から愛されているか、大切に思われているか、好意的に思われているか否かなどの他者評価に一喜一憂し(心を奪われ)、それ以外のことがすべて二の次になってしまうような人」

「自己愛講座5(補足)」参考文献

エーリッヒ・フロム著『愛するということ』、紀伊國屋書店、2020年

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