言語能力の獲得により忘れ去られてしまう大切な感覚がある

昨日、カウンセリングのFBページに次のような投稿をしました。

今晩22時のNHK「スーパープレゼンテーション」のプレゼンターは絵本作家のマック・バーネットさん。
バーネットさんの(ピカソの言葉を引用しながらの)「幼少期の子どもの非現実的な心性に合わせて誠実な嘘をつくべきだ」との提言、同感です。

社会に適応するために客観的な事実と信じられていることや合理的思考を学ばせることはとても大切なことですが、それ一辺倒では非現実的な心性が有する多様な世界が失われてしまいます。
例えば言葉では決して的確には表せない、しかし確かに感じる感覚などです。

発達心理学者のダニエル・スターンによればこうした大人から見れば非現実的・非合理的としか思えないような感覚は「言語」を習得する過程で、その大半が失われてしまうそうです。
何でも言語化して考える癖(私たちは意識しないだけで頭の中では四六時中言語が飛び交っています)を身につける過程で、言語化できない要素は役に立たないものとして捨て去られていくのです。

言語自己感の効用

スターンは心の成長過程を自己感の発達と考え、4つの自己感を定義しました。
そのうち今回の話と関連する言語自己感は4つのうち一番最後に発達する自己感です。

言語自己感とは生後15か月~18か月の頃に獲得される体験を言語化したり、ごっこ遊びと呼ばれる、その場にないものを何かで見立てて遊ぶ象徴機能を提供する自己感で、この自己感を有しているため私たちは他者とスムーズにコミュニケーションを図ることができます。
このことは自分の体験を一切言語化できず、かつその場にないものをジェスチャーによってさえ表現できない状況を想像していただければご理解いただけると思います。

言語自己感の発達によって忘れ去られてしまう感覚もある…

このように言語自己感は私たちの社会的生活にとって欠かせないものですが、残念ながらこの自己感の発達によって、それまで獲得していた能力のある部分が(なくなってしまうわけではないですが)潜在化してしまいます。
それが冒頭で引用した非合理的で言語化不可能な感覚(認知様式)です。
スターンはこのことを「黄金色に輝く日差しの斑点の知覚の仕方」で説明しています。

斑点を見て感じ、知覚している間、子どもはあらゆる無様式特性の混合、つまり強さ、暖かさなどといった光の斑点のもつ近くの基本的特性と共鳴する総括体験をしているのです(乳児の対人世界 理論編 P.204)。

ここでの「無様式特性の混合」とは、大人のように「日差しが…」などと頭の中で言葉を思い浮かべることなどなく、かつ「強さ」「暖かさ」などと感覚を区別することもなく体験全体を味わう感覚を意味します。
このような体験の認知様式は言語自己感を獲得する前段階の子どもには容易でも、大人にはほとんど不可能に思えます。

言語能力や象徴機能は、それによって人間関係を豊かにしますが、同時に子どもの頃に当たり前のように持っていた感覚を忘れさせてしまう諸刃の剣でもあります。

追伸)既にお気づきかもしれませんが、冒頭のFBページの引用の内容には私の勘違いが含まれています。
バーネットさんの話は言語自己感を獲得した後の時期についての話のためです。
ですがバーネットさんの提唱は、言語自己感を獲得した後に待ち構える、社会に適応するために(それ自体は必要なことだとしても)さらに多くの感覚が忘れ去られて行くことに焦点を当てるものだと思います。

参考文献

D.N.スターン著『乳児の対人世界 理論編』、岩崎学術出版社、1989年

参考ページ

マック・バーネット: 良い本が秘密の扉である理由 | Talk Video | TED.com
こちらのページでバーネットさんのプレゼンをご覧いただけます。

追伸)別サイトになりますが、生後18か月頃を境に忘れ去られてしまう感覚(無様式知覚)を呼び覚ます方法について写真家のサイトに書きましたので、併せてご覧いただけますと幸いです。
芸術作品には言語獲得により忘れ去られてしまった多様な感覚を蘇らせる効果がある

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