最初に少し前の判決ですが、こちらの記事をご覧いただけますでしょうか↓
七生養護学校・性教育訴訟事件、学校側が勝訴。都議らと都の敗訴確定
個別性を重んじる原告の教師の方々こそが真のプロ
引用されている教師の方々の教育内容を見る限り、これらの行いはいわゆる「個別性」と呼ばれる、生徒一人一人の立場に立って生み出された工夫の産物です。
カウンセリングで言えばミルトン・エリクソン流のアプローチです。
私は本当のプロとは、教わったことや決められたことを何の疑問も持たずに忠実に実践する人ではなく、自らの創意工夫でより良いものへを昇華させられるような人だと思っています。
その意味で、この教師の方々の仕事はまさに「プロの技」です。
しかし日本では「出る杭は打たれる」「同調圧力」などという言葉で表されますように、こうした個別的な創意工夫は、物事が画一的であることを好む主体性に欠け従順な人々にとっては「自分たちの心理的な安全を脅かす脅威」となるため、その内容に関係なく非難の的となりがちです。
ただこの方々の怒りも、ごもっともです。
この方々にすれば自分たちは普段いろいろなことを我慢して不満を抱えながら生きているのに、この原告の方々のように決められたルールを無視して好き勝手に振る舞う自分勝手な人の方が児童や父兄から賞賛されるなど、理不尽で許せないことに違いありません。
カウンセリング業界でも状況はまったく同じ…
実はカウンセリング業界でも、これと似たような状況が支配的です。
それぞれの理論は、それを信じる人々によって過度に理想化かつ万能視されているため、その理論を忠実に実践することが最重要課題とされ、その結果「エビデンス」の名のもとに手順が画一化され、個別性は忌み嫌われるようになってきています。
そして、それでも効果を求めて創意工夫を試みる(=理論に楯突く)一部の人たちには、この教師の方々に対するような厳しいバッシングが待ち受けています。
理由は同じです。自分たちの心理的な安全を脅かす危険分子とみなされることと、それに加えて自尊心の源となっている対象への攻撃と受け取られるためです。
(後者については別の機会に詳しく書かせていただく予定です)
今回の事件の東京高裁の判決および最高裁の棄却判決は、個別性を重んじる真のプロの方々の存在意義が認められたという意味で画期的かつ、とても心強い判決だと思います。