私説:臨床心理学における理論のオリジナル性

今、東京オリンピックのロゴを担当した佐野研二郎氏の事務所が手がけた複数の案件でデザイン盗用の疑惑が巷を賑わせていますが、このニュースを見ながら、ふと思い出したことがあります。
それは臨床心理学における理論のオリジナル性についてです。

注)今回の記事の内容はあくまで私自身の臨床に関する理論のオリジナル性について述べたもので、冒頭の佐野氏のニュースについて考察したものではありませんし、暗に何かを示唆するものでもありません。

自分が考え付いたと思っていた臨床心理学的な仮説が、実はそうではなかったという数々の経験

私自身のことをお話させていただきますと、私は人から「このとおりにしなさい」と強制されることが大の苦手で、反対に自分で創意工夫することに喜びを感じる性格ですので、カウンセリングの仕事においても自分の臨床実践の中で得られた知見を元に、多くの仮説を立てて来ました。

ところがそうして何年か仕事をしているうちに、自分が考え付いたと思っていた仮説とほとんど同じような仮説を本で目にすることが、それも一度ならず何度も経験しました。
もちろん本に書かれているくらいですから、先に考え付いたのはその本の著者の方です。
(臨床心理学の世界は理論がすぐに時代遅れになってしまうわけではありませんので、評価の確立した著書は数十年に渡って読み継がれることがよくあります)

他人と考えが重複するのは、それだけ妥当性がある証

最初は自分のオリジナルの考えではなかったと知りとてもガッカリしましたが、その後こうしたことが何度も起こるにつけ、やがて考え(受け止め方)が変わって来ました。
その後は他の臨床家、それも著名な臨床家と仮説が重複するのは、それだけその仮説に妥当性がある証だと考えるようになりました。

オリジナルの臨床理論というものは個々人の臨床家の創意工夫によってしか生まれ得ません。
(教わった理論や技法を忠実に実践することからは、新たな知見は生まれようがありません)
そのように考えますと、異なる状況で臨床実践が行われる中で共通した認識が生まれるということは、その認識が様々な状況で役立つ、それだけ汎用性にとんだものであることを示していると思われます。

これは裏を返せば、もし他の誰の理論とも共通点が見つからないような非常にオリジナリティの高い臨床理論を発見したとすれば、それはむしろ独りよがりで妥当性が低いものである可能性が高いということです。

自分の臨床理論のオリジナル性へのこだわりからの脱却

ですから今では、その臨床理論が自分のオリジナルであるか否かへのこだわりはほとんどなくなり、むしろ多くの人の考えとの間に共通点がある事の方に価値を見出すようになりました。
理由は既に述べた通りです。

ただしこれはあくまで個々人の創意工夫に偶然にも共通点が生じた場合の話ですので、コピペしたような記事を見かけた場合は抗議したことがあります。
それは「盗用」に過ぎないことだからです。

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