この世に客観的な現実は存在しないか、存在していたとしても確かめようがない
臨床心理学の世界では、よく認知の主観性ということが言われます。これは私たち人間は主観的にしか物事を認知することができないというものです。
例えば同じクライエントの話を聞いていても、精神分析家は精神分析理論が的を得ているように感じられ、一方ユング派の臨床家はユング心理学の理論で了解可能な臨床像と感じると言われています。
なぜこのようなことが起きるのか?それは人間がロジャーズ派の理論で「準拠枠」と呼ばれるその人固有のものの見方の癖を持っており、さらに関心が強い事柄ほど認知されやすい傾向があるためです。
そのため街を歩いていてもファッション業界の人は人々のファッションに、広告業界の人は広告に、携帯業界の人は携帯の機種に無意識に目が向く(注意を引かれる)ということが起こり得ます。
このように私たち人間は視覚に限らず認知全般についても偏りなく純粋に世界を知覚することはできず、各々が自分の流儀で物事を見ているため、客観的事実という意味での「現実」はこの世には存在しない、あるいはたとえそのようなものが存在したとしても、それを確かめる術がありません。
その理由は既に述べた通り、人間は主観的にしか物事を認知できないためです。
なおこのような考え方は心理学に限ったことではなく、その他に社会構成主義と呼ばれる社会学の分野にも見られます。
また存在していたとしても確かめようがないとは、次のような理由からです。
例えば自分の証言で自分のアリバイを証明しても証明したことにはならないように、客観的な事実を証明するためには当事者以外の人によってそれが行われなければなりません。
しかし私たちはこの世界に住んでいるのですから、この世界の当事者であり、どう足掻いてもこの世界の外から世界を観察することはできません。
これが客観的な事実という意味の現実が存在したとしても、それを確かめようがない理由です。
プロセスワークの「合意された現実」という概念
しかしそれにもかかわらず私たちは「客観的」「現実」「事実」などという言葉をしばしば使い、しかもそれが正しいことであると信じています。
この実は誤りと言える現象が生じる理由を説明する理論にプロセスワーク(プロセス指向心理学)の「Consensus reality(同意された現実)」という概念があります。
上述のように私たちは主観的にものを認知しています。しかしそれは十人十色でまったくバラバラというわけではなく、無数の認知の仕方が存在する中にも似かよった認知の仕方が存在し、そのような認知の仕方の中で最大のものが、いわゆる常識的なものの見方や考え方として多くの人に共有されています。
なぜなら、このものの見方や考え方を現実や客観的な事実と信じることで初めて、私たちは多くの人とコミュニケーションをスムーズに取ることができるためです。
もし仮に個々人がこのような共通認識を一切持たず、すべての認知の仕方をその人個人にしか通用しないものと考えたなら、コミュニケーションに重大な支障を来すでしょう。
そのため便宜上、嘘でも良いから「これが現実」と信じる必要があるというのがプロセスワークの「合意された現実」という概念の考え方です。