今回は先延ばしになっていました「『きみが心に棲みついた』は境界性パーソナリティの心理を巧みに描いたドラマ〜スプリッティング編」の最後で告知した、主人公の今日子の星名や吉崎に対する気持ちが目まぐるしく変化する理由を、境界性パーソナリティと自己愛性パーソナリティの対人依存の仕方の違いという形で考察します。
自己愛性パーソナリティの対人依存の特徴
冒頭のリンク先の記事でも触れましたように、私は境界性パーソナリティを自己愛性パーソナリティの特徴を有し、かつ心がより不安定な状態と認識しています。
このため、その心の不安定さが自己愛性パーソナリティとは異なる境界性パーソナリティ特有の心理状態を作り出していると考えています。
ですから先ずはベースとなる自己愛性パーソナリティの対人依存の特徴から記述致します。
特徴その1〜極度に理想化された特定の人のみに関心が集中し、二人だけの(空想)世界に浸る
自己愛性パーソナリティの人には自己愛講座8でも取り上げた「理想化-価値下げ」と呼ばれる防衛機制が非常に強く働いていると考えられます。
「理想化-価値下げ」とは誰かや何かを極端に理想化したり、その反対に極端に過小評価する心の働きです。
このため自己愛性パーソナリティの人の対人依存は、特定の誰かを過度に理想化し、その人のみに関心が集中するという形を取りやすくなります。
極端な場合は理想化された相手との関係のみがこの世で唯一価値あるものと感じられ、完全に二人だけの(空想)世界に浸るようなケースも生じます。
ですからストーカー行為に及ぶ人の典型は、この自己愛性パーソナリティの重症域の人と考えられています。
特徴その2〜特定の人への対人依存状態が、かなりの程度持続する
また自己愛性パーソナリティの対人依存で生じているのは、相手との現実的な関わりではなく自分の理想像(心の中の美化された相手のイメージ)との関係、つまり空想上の関係であるため、空想から現実に目覚めるまでの間は、その依存状態が延々と続くことになります。
このためストーカー行為が執拗に繰り返されるのも同様の理由からと考えられます。
空想に浸っている間は現実が目に入らないか、仮に一瞬気づいたとしても、それが意に反するものであれば「何かの間違い」として無視されるためです。
以上のように自己愛性パーソナリティの対人依存は特定の人に集中し、かつそれが持続するという特徴を有しています。
境界性パーソナリティの対人依存の特徴
それに対して境界性パーソナリティの人の対人依存は『きみが心に棲みついた』の主人公の今日子の例が示すように、自己愛性パーソナリティの対人依存とは大きく異なっています。
今日子の対人依存は特定の人に集中したりはせず、常に星名と吉崎の間を行ったり来たりしています。またそれゆえ持続性もありません。
境界性パーソナリティの人の対人依存にこのような違いが生じるのは、これまでの『きみが心に棲みついた』に基づく3つの記事「『きみが心に棲みついた』は境界性パーソナリティの心理を巧みに描いたドラマ〜スプリッティング編」「スプリッティングは衝動的な行動や絶対服従的な態度を誘発してしまう〜『きみが心に棲みついた』の主人公の心理を例に」「境界性パーソナリティの「見捨てられ不安」の特徴〜ドラマ『きみが心に棲みついた』の主人公の心理を例に、自己愛性パーソナリティと比較」でも取り上げたスプリッティングと呼ばれる防衛機制の影響が大きいと考えられます。
その1〜スプリッティングが同じ人の印象をコロコロと変えてしまう
スプリッティングとは心の中に例えば「何かをしたい」「しかしそれは許されない」というような相容れない事柄が生じると、その葛藤の苦しみから逃れるために2つの事柄を心の中で切り離してしまい一方だけが意識されるようになる防衛機制ですが、半ば自動的に作動するため当人はその働きに気づくことは困難です。
このためスプリッティングが働けば働くほど、その人の心はどんどん分断され断片化されていくことになります。
しかしこの世に完璧な人間など存在しませんから、誰でも矛盾した側面をそれなりに心の中に有しています。
ところがスプリッティングが働くような人はその矛盾(完璧な一貫性が欠如した状態)に耐えられないため、相手の印象を好ましい側面と嫌な側面とに分断してしまい、その時々で片方の印象だけを意識するようになります。
つまり同じ人の印象が出来事に過剰に反応して天使と悪魔ほどに極端に変わってしまうのです。
その2〜スプリッティングが理想化の持続を阻む
この同じ人に対する印象の激変が、自己愛性パーソナリティと同じく他人を極端に理想化したり蔑んだりする傾向を有しながらも、境界性パーソナリティではそれが持続しない要因ではないかと考えられます。
その3〜恋愛依存やセックス依存に陥ることもある
また他人を理想化しやすいにもかかわらず、それが持続しないため、複数の人をその度に理想化するということも起こり得ます。
『きみが心に棲みついた』の主人公は理想化対象が2人だけですが、もっと多いケースも存在し、極端な場合は寂しさや不安などを感じる度に誰でも良いから近くにいる人が理想化され、その人との親密な関係を即座に求めるようになります。
恋愛依存*やセックス依存*と呼ばれる状態がその典型です。
*ただしこれらの依存行為が問題視されるのは、あくまで近代以降に確立された西洋の価値観に照らしてのことです。
『きみが心に棲みついた』の主人公も人数は絞られていますが、吉崎に対して一目惚れに近い状態でしたので、恋愛依存の傾向もあるのではないかと考えられます。
以上が特に星名と吉崎に対する今日子の一貫性を著しく欠いた言動に関する心理分析と、それを例とした境界性パーソナリティと自己愛性パーソナリティの対人依存の特徴の違いです。
最後にこのような今日子の一貫性を欠いた言動に対して、それを計算尽くのしたたかさと感じる人もいれば、子供のような未熟さや無邪気さを感じる人もいらっしゃるかと思います。
こうしたクセのある性格の人が登場するドラマは賛否両論を引き起こす傾向が多分にありますが、実は境界性パーソナリティの特徴の1つとして周囲の人の評価を二分する傾向が指摘されています。
次回の『きみが心に棲みついた』に関する記事では、その要因を考察したいと考えています。