今回は「健全なアイドルファンの心には必ず葛藤が存在する~自己愛講座23」の続編として、重症域の自己愛障害の人がファンであった場合の特徴について書かせていただきます。
ファンの逸脱行動の典型例~一方的な恋愛感情を抱きストーカー行為を繰り返す
今回のストーカー事件の容疑者もその一人ですが、お気に入りのアイドルに対して一方的な恋愛感情を抱きストーカー行為を繰り返すファンが少なからずいます。
そして、こうしたケースが重症域の自己愛障害の人が引き起こす問題行動の典型例と思われます。
同じ相手がその都度、聖母マリア様にも悪魔にも変化する
以前に「理想化-価値下げ」の防衛機制が自己愛的な症状を生み出す~自己愛講座8にも書きましたように、自己愛的な性格構造の人は人間関係において常に自分と他人を比較し、その優劣に心を奪われる傾向があります。
そしてこの傾向は重症化するにしたがって、その優劣の差がより極端な形を取るようになって行きます。
具体的には小見出しにもありますように、理想化されているときには自分のことを無条件に受け入れ望みを何でも叶えてくれる聖母マリア様のような優しい存在に思えるために過剰な期待を寄せ、その反対に価値下げされているときは微塵も存在価値のない、むしろ世の中の害にしかならない悪魔のような存在にまで貶められ、それゆえ殺したって構わないというように、同じ人の印象がその時々のその人の態度によって両極端に変化してしまいます。
ですから今回の事件の容疑者がこの水準の自己愛障害を患っていると考えれば、気に入ってくれると信じて疑わなかった腕時計などのプレゼントを送り返されれば、殺意が芽生えても不思議はないと思われます。
(但しプレゼントの返却は容疑者の希望であったそうですので矛盾していますが、その矛盾についての解釈は後述の「スプリッティング」の章で解説します)
さらにこの急変は、通常では考えられないほどの些細な相手の態度の変化によってもたらされる可能性があります。
そのため思いを寄せられている方は、ある時はベタ褒めされたり、あるいは頼みごとを懇願されたかと思えば、次の瞬間には徹底的にこき下ろされ、しかもその理由が思い当たらないためにすっかり混乱し、かつ終始その評価の激しい上下動に晒され続けるため、精神的にすっかり消耗してしまいます。
ですからこのような一貫性のない評価に晒され、それに翻弄される感覚を味わうようなら、たとえ犯罪にまで至らなかったとしても精神的に多大な損害を被ることになりますので要注意です。
スプリッティングが生じているため、話に一貫性が感じられなくなる
この水準の自己愛障害の人のもう一つの特徴は、話が支離滅裂で一貫性が感じられないことです。
冒頭のリンク先の記事には書かれていませんが、プレゼントを送り返したのは容疑者本人の要求に応じたものだったそうです。
だとすれば自分で要求したにも関わらず、送り返してきた理由を問い質し、その受け応えが要領を得なかったのでカッとなって殺そうと思ったというのは理にかないません。
ですから恐らく容疑者の心にはスプリッティングと呼ばれる防衛機制も働いているのではないかと考えられます。
スプリッティングとは、典型的には心の中が自分にとって好ましい部分と忌み嫌う部分とに真っ二つに分断され、一方が意識されているときには他方は意識から完全に排除されることから、この防衛機制が働くとすべてが好ましい楽園のような状態と、その対極のすべてが忌まわしい悪夢のような状態とを行ったり来たりするだけで、その中間のほど良い状態が存在しなくなってしまいます。
このため前節の聖母マリア様と悪魔という両極端の相手の印象の形成にも、このスプリッティングが関与していると考えられます。
ストレス耐性を著しく欠くため、衝動のコントロールが困難
また前述のスプリッティングは矛盾した状態から生じる葛藤がもたらすストレスに耐えられないことから生じると考えられています。
例えば今回のテーマに即して言えば、重症域の自己愛障害の人は、この世に完璧な人間などいないにも拘らず、上述の「理想化-価値下げ」の防衛機制の働きによって過剰な期待を抱きがちになるため、頻繁にその期待を裏切られることになります。
この場合でも健全な人であれば、どんな人にも好ましい点とそうではない点があり、それゆえ時には不快な思いをすることを渋々でも受け入れるのですが、重症域の自己愛障害の人は同じ人間が多様な面を見せる矛盾に耐えられないのです。
そのため、その矛盾を解消するために、相手が心地良い態度を示せば、それがその人のすべてと思い込み、それに矛盾することはすべて意識の外に締め出され、相手がその反対の態度を示せば今度は逆の作用が生じるのではないかと考えられます。
またストレス耐性を著しく欠くと衝動のコントロールが難しく、それゆえすぐに行動化してしまいがちになります。
さらにそのことに加えて前述のように相手の印象が「完璧に素晴らしい人」と「害にしかならない人」とに二分されてしまっていますので、前者の場合には過剰な期待を伴う依存状態を、後者の場合は激しい恨みを生じさせることになります。
罪悪感と共感能力の欠如がもたらす無邪気さ
また重症域の自己愛障害の人の全般的な印象として「幼さ」を挙げることができます。それも乳幼児レベルの幼さです。
体格も知識も大人なのに、それでもまるで赤ん坊のように感じられて仕方がないのです。
私もまさに昔はそうでしたが、重症域の自己愛障害の人はどうしてそんなに酷いことを言ったりしたりすることが平気でできるのかと信じられないほど、まったく無邪気に人を傷つけます。
これは恐らく罪悪感や共感能力がほとんど育っていないためと考えれます。
そしてそのような様子を見て相手の人は「嫌がらせでも何でもなく、この人は本当に何も分かっていないんだ…」「だから何を言っても無駄なんだ…」ということを悟り、怒りよりも憐れみを感じるようになり、そうなれば毅然とした態度を取ることが難しくなり、むしろ罪悪感に駆られる場面が増えて行きます。
そうして、どんどん巻き込まれて行くのです。
これは健全な人であれば、大人に対してと同じように赤ちゃんに対して怒りを向けることなど、気が咎めてできないためです。
重症域の自己愛障害の人が犯罪を犯す確率はごく僅か
最後に重症であっても自己愛障害の人が犯罪を犯す確率は決して高くないそうです。
これは大半の人は殺意などが芽生え、かつ自己抑制があまり利かなかったとしても、法で裁かれるなどの行動化したのちの様々な不利益のことが頭を過るため、ギリギリのところで思い留まることができるためではないかと考えられています。
その意味で今回のストーカー事件の容疑者は、その抑止力さえ働かなったという意味で精神病水準に近かったのではないかと考えられます。
(その後のニュースによれば、責任能力に疑いがもたれ精神鑑定が申請されたようです)
現実よりも「空想」の方を正しいと考えることから生じる思い込みの強さ
ニュースでも報じられていましたが、今回のストーカー事件の容疑者は、被害者の方からほとんど無視されていたにもかかわず結婚を望んでいたそうです。
なぜこのような強い思い込みが生じるのか、それは精神分析医の小此木啓吾さんが『自己愛人間』の中で「イリュージョン(幻想)の中で生きる人」と形容しているように、特に重症域の自己愛障害の人は、頭の中の空想の方を正しいと考えるため、ほとんど相手にされていないという自分にとって都合が悪い現実は、何かの間違いとして無視されるか、あるいは正しい空想に沿うように現実を正そうと圧力をかける(実力行使)かのいずれかで、どちらにしても現実が過小評価されてしまうためです。
以上、少々まとまりのない文章になってしまいましたが、重症域の自己愛障害の人がアイドルファンであった場合の特徴について列挙してみました。