隠れ自己愛の人は普段は優しく誠実そうに見えるため、ナルシスト的な人以上に巻き込まれやすい〜自己愛講座40

要約:「隠れ自己愛」と称される、本質的には非常に自己中心的な心理を有しながらもそれを覆い隠すことに長けた人は一見「誠実」そうに見えるため、ナルシスト的な人以上に巻き込まれやすいと考えられます。

前回の「尊大なだけでなく抑うつ的でもあることが、自己愛的な人の誠実な印象を生み出したり周囲を巻き込むことになる〜自己愛講座39」では、自己愛性パーソナリティ障害を典型としたナルシスト的な印象が強い人が周囲の人を巻き込む要因を考察しました。

今回は日本ではそのタイプの人よりも圧倒的に数が多いと考えられている、隠れ自己愛と呼ばれるタイプの人が周囲の人を巻き込む要因を考察します。

補足) 隠れ自己愛は、精神分析の世界ではギャバードの自己愛の分類に基づき抑うつ型自己愛あるいは過敏型自己愛と呼ばれることが一般的なようです。

隠れ自己愛の人の方が、自己愛性パーソナリティの定義をより体現している

自己愛講座1で自己愛性パーソナリティを次のように定義しました。

「他者から肯定されることによる自尊心の維持をめぐってパーソナリティが構成されているような人」

これは自己愛的な人が、専ら他人からポジティブな評価を得ることで自分の存在価値を感じることができることを意味しており、隠れ自己愛の人はこの定義がピッタリと当てはまります。

ですから隠れ自己愛の人は、常に自分が他人から良く思われているのかが気がかりで、またその確証が得られない限り不安で仕方がありません。
このため気分が落ち込みがちとなり、また自己評価の源泉となる相手の様子にいつもハラハラドキドキしているため対人恐怖的にもなります。

こうした様子は周囲の人からも観察可能であるため、その人が実はナルシスト的な側面をかなり有した人であるとはとても思えず、この印象とのギャップが隠れ自己愛と呼ばれる所以です。

常に他人に気に入られるように行動することで、非常に優しく誠実な人と思われやすい

また隠れ自己愛の人は、常に自分が他人から良く思われているのか心配で仕方がないため、その不安を払拭するためにも、他人から良く思われるための努力を惜しみません。
若い頃の私もそうでしたが、人間関係に関わるかなりの時間や労力をこのことに費やしていると言っても過言でもありません。

そしてこのような隠れ自己愛の人の弛まぬ努力が実を結び、多くの場合非常に優しく誠実な人との印象を勝ち得ます。
少なくてもこの時点では、隠れ自己愛の人はナルシスト的な素振りをほとんど見せません。

甘えが生じた瞬間豹変する隠れ自己愛の人

ところが、やがて隠れ自己愛の人が豹変する時が訪れます。
それは特定の人と親密な間柄となった時で、その要因は甘えと考えられています。

私たちは誰でも、家族などごく親しい間柄の人に対して「この人ならこれくらいは許してくれるだろう」との期待を抱き、知人には決して見せない態度をとったりします。
それと同じことが隠れ自己愛の人にも起こると考えられます。

前述のように普段隠れ自己愛の人は、他人から良く思われるために必死に努力していますが、それが不安を取り除くためとは言え、このような行為自体も精神的に非常に疲れるものです。
このため努力せずに済むのでしたらそれに越したことはなく、この潜在的なニーズが、甘えが許されると期待できるような親しい間柄が生じた瞬間に一気に活性化されるのではないかと考えられます。

この一気にという表現は決して大げさなものではなく、私自身の過去を振り返ってみても、ひとたび良い人を演じる必要がないと思った瞬間「もう何も我慢しなくて良い*」との考えに頭が支配されてしまう時期がありました。

*この極端なまでの変わりようは、普段他人から良く思われるために我慢し過ぎていることの反動であるとともに、自己愛講座8で述べた「理想化-価値下げ」の防衛機制の働きにより、相手を何でも望みを叶えてくれる人であるかのように理想視していることも関係していると考えられます。

以上のように甘えが生じた瞬間、まるで我慢を知らない子供のように欲求を爆発させる人が、普段はその気配さえ見せない、むしろその真逆の他人思いの優しく誠実な人との印象を与える、このギャップこそが隠れ自己愛の人がナルシスト的な人以上に周囲の人を巻き込まれやすい要因ではないかと考えられます。

補足)甘えの他に、飲酒により同様の豹変ぶりが生じることもありますが、その際も「アルコールの影響による一時的なもの」と見なされ、大目に見られることがほとんどだと思います。

隠れ自己愛の人の極端な二面性が、被害に遭った人を孤立させる

またこの隠れ自己愛の人のジキル氏とハイド氏ほどの極端な二面性が、被害に遭った方が窮状を訴えても「まさかあんなに誠実な人が、そんなことをするはずがない。何かの間違いじゃないの」と周囲の人からまったく信じてもらえない要因にもなっていると考えられます。

隠れ自己愛の人は他人を欺くために良い人を演じたり豹変したりするのではない

最後に誤解されるといけませんで補足しておきたいことがあります。
それは隠れ自己愛の人の意思に関することです。

これまでの記述からもお分かりのように、隠れ自己愛の人の豹変は甘えという誰もが有している感情がきっかけであり、その感情は半ば無自覚に生じるものです。

また普段の良い人を演じる努力も、決して他人を欺く目的で行っているわけではありません。
自己愛性パーソナリティの定義の箇所でも述べましたように、他人から良い人と思われるなどの肯定的な評価が自尊感情の唯一の拠り所となっているため、必死にそうしているだけなのです。
自分を偽っていることは確かですが、それ自体が目的はなく、あくまで結果に過ぎません。

これらの点が忘れ去られてしまいますと、隠れ自己愛の人の苦しみが理解できないだけでなく、平気で他人を欺くサイコパスであるかのような誤解を招くことにもなってしまいます。

参考文献

土居健郎著『「甘え」の構造 [増補普及版] 』、弘文堂、2007年

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