アメリカの一連の白人警官による黒人射殺事件の経緯
ここ最近、立て続けに起きている白人警官による黒人射殺事件の報道を見ていて疑問に感じることがあります。
それは一連の事件は果たして人種差別だけの問題なのだろうか?という疑問です。
アメリカ・ミズーリ州黒人青年射殺事件 拡大する暴動とこれまでの経緯
アメリカで頻発する警官による市民の射殺事件
上記のリンク先などで一連の事件の経緯を見てみますと、1ページの12歳の少年、5ページの35歳の男性、同じく5ページの18歳の青年、そしてリンク先には明記されていませんが12月24日の事件と、その多くが被害者が銃を所持もしくはそれと警官が勘違いしたことが大きな要因となっています。
これはあくまで推測ですが、もし他の市民の銃の所持が認められていない国で同じ状況が発生したとして、やはり同じ頻度で警官による射殺という事態が起こり得たでしょうか?
例えば市民の銃の所持が認められていない国で、12歳の少年が模造銃(モデルガン)で遊んでいるのを見て、あるいは言い争いになっている状況で相手がポケットに手を突っ込んでいるの見ただけで、とっさに「撃たれる!」と危機感を感じるのは当たり前の感覚でしょうか?
もしそうであれば日本でも頻繁に警官による市民の射殺事件が起こっているはずです。
しかし日本でそうしたニュースは滅多に見かけません。
それに対してアメリカの警官による市民の射殺数は年間400人にも上ります↓
米国 警官の容疑者射殺人数が2013年に461人と、20年ぶりの最高
銃規制の有無が警官による市民の射殺の最も大きな要因では?
この差を生んでいる主な要因を、私は銃規制の差にあると考えています。
つまり多くの州で市民の銃所持が認められているアメリカでは、争いごとになればいつ殺されるか分からない危機感(というより恐怖感)が常に身近にあり、それは犯罪者と接する機会の多い警官ならより一層強く感じることであり、その結果今回の事件の多くに見られるような丸腰の市民への発砲という痛ましい事件が起こってしまうのではないかと考えられます。
ですからどんなに警官の意識改革を行ったところで、死の危険が身近にある状況では限界があると思います。
もっとも人種差別の影響はゼロではないでしょうが(実際あると思います)、それでも私には銃規制がなされていないことの方が、より深刻な問題のように思えます。