私説:束縛の要因に関する心理学的仮説

今晩のNHKEテレ「オトナノベル」で束縛が取り上げられます

今晩8月27日(木)の19時25分からNHKEテレで放送される「オトナノベル」のテーマは束縛です。
主に恋人同士で発生しやすい現象ですが、この束縛に関して昨晩FBページに次のような投稿をしました。

恋人を思うあまり、ついソクバク。
よく聞く言い回しですが、この表現の仕方は不正確です。
より正確には恋人を「自分の思い通りにしたい」があまりです。
そしてこのように言い換えると、それが愛情とは異なる感情であることがお分かりいただけると思います。

またこの問題は束縛する側だけの問題ではありません。
なぜなら束縛されることを愛情の証と錯覚する人が少なからずいるためです。
つまり束縛には「需要」があり、それゆえにそう簡単にはなくなりそうにはないということです。

束縛の相手を思い通りにしたい欲求は自覚されているとは限らない

このコメントに関して、いくつか補足させていただきます。
なお今回は大部になるため前半部分についてのみ補足させていただきます。

この相手を思い通りにしたい欲求は自覚されているとは限らず、したがってその場合ここに書かれていることは無意識の心理に関する仮説です。

自己中心的な人やストレス耐性の低い人の不安が高じると結果的に束縛となる

そして自分が相手を思い通りにしたい(コントロールしたい)との欲求に無自覚な場合に意識的に感じられるものの典型例は不安です。

例えば交際相手が実際には浮気をしていなくても、物事はいかようにも解釈することが可能な部分もありますので、疑えばその証拠らしき言動を見つけ出すことは、それほど難しいことではありません。
このため心配性の人は交際相手が浮気しているのではないかと不安で仕方がなくなり、その不安を鎮めるためにそのことを確かめずにおけなくなります。
そして直接本人に聞いて「そんなことしていない」と言われても、前述の物事はその気になればいかようにも解釈できる事情から「もしかしたら」という疑念が拭いきれず、その結果携帯のチェックや行動の監視などをせずにおけなくなります。

この場合でも平均的な共感力を有している人でしたら、たとえ上述のような不安に駆られたとしても相手の立場に身を置き、そのようなことをすれば相手に多大な不快感を与えることが容易に想像できるため、多少辛くてもその欲求を抑えます。
ところが共感力の乏しい自己中心的な人やストレス耐性が低い人の場合、同じ状態に陥っても自分の辛さへの対処でいっぱいいっぱいになってしまうため、束縛的な行為が相手の迷惑になることにまで考えが及びません。

このように共感力の乏しい自己中心的な人やストレス耐性が低い人の場合、たとえコントロール欲求が強くなかったとしても、自分の不快な感情を振り払うために相手をどんどん巻き込んでいくため、結果的に束縛のような状態になってしまうことが起こり得ます。

そしてこれらの人は相手に多大な不快感を与えているという自覚が希薄なばかりでなく、自身が不快な思いをしているため、むしろその被害者と感じていることも少なくないため、束縛的な行為を改めることはなかなか困難です。
そもそも束縛的な行為は不安に対処するために行われているのですから、それを止めれば耐え難い不安に陥ってしまいます。

無自覚な不安が束縛行為につながることもある

最後にコントロール欲求の非常に強い、つまり相手を束縛したい欲求を明らかに有している人の場合でも、その要因として無自覚な不安が隠されている場合もあります。
ですから束縛をもたらすコントロール欲求と不安とは、実は密接な関係があるのかもしれません。

より具体的には、どんなに高圧的で強引に他人を束縛したりコントロールしようとするDVに近い行為を繰り返す人でも、注意深く観察すれば、その表情に恐れの感情を見出すことができる、あるいはどんなに弱々しく神経質そうで常に不安や恐怖に圧倒されているように見える人でも、やはり注意深く観察すれば、束縛その他の行為の中に尊大さを見出すことができる可能性があるということです。

束縛の2つの要因は、どちらがより強いかという程度問題に過ぎない

したがって束縛の要因を「コントロール欲求」と「不安への対処」のいずれかに特定することは困難であり、むしろ両方が存在する中でも、どちらの要因がより強いのかという程度問題のような気が致します。

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