昨日、紀伊國屋書店でNHK『100分 de 名著』48 サルトル「実存主義とは何か」のテキストを購入しました。
購入の直接の目的は、私のもう一つの顔である写真家の領域の都合で、現代美術の世界で広く支持されていると思われるポストモダニズム思想が芸術家のメンタルに及ぼす悪影響を、ジャン=ポール・サルトルをはじめとした実存主義者の思想が緩和させる効果があると考えているためです。
ですがそれについては写真家のサイトの方に掲載する予定ですので、今回は臨床心理への適用という観点から実存主義思想について書かせていただきます。
もっとも今回のような入門書を購入しているくらいですから私は実存主義思想についてはそれ程詳しくはなく、したがって今回の内容は私論に過ぎないものであることを予めお断りさせていただきます。
多くのメディアで実存的な悩みの根源性・普遍性が強調されている
今回のサルトルの『実存主義とは何か』に限らず実存主義的な思想がマスメディアで紹介される時には、大抵この思想が人間の根本に関わることであり、したがって誰にとっても欠かせない理論であり、また実存的な悩みは誰もが抱える根源的な悩みである点が強調されているように思えます。
ですが私の考えはそれとは異なります。
※私見ですが、この傾向はマスメディアの論調の特徴のみならず、実存主義者の方の信念でもあるのかもしれません。
なお、ここでの実存的な悩みとは私の理解では、自分がこの世に確かに存在しているという確信が揺らぐような心理状態に陥り、その不安が頭から離れなくなってしまうような類の悩みであり、その心理状態状態はテキストによればサルトルの別の著書である『嘔吐』で詳しく描写されているようです。
ですが私には『100分 de 名著』で紹介された『嘔吐』の主人公の男性が陥る心理状態は、私がたびたび病態水準の一つとして挙げる精神病水準、つまり最も重症域の心理状態の特徴に酷似していました。
この投稿をご覧の皆様も、生きる目的や意味が分からなくなるというアイデンティティの問題に悩まされることはあっても、自分がこの世に存在していることに確信が持てなくなってしまい恐怖に陥るようなことは滅多にないか一度もないに違いありません。
つまり多くの方が抱く存在に関する悩みは、自分がこの世に存在していることを前提とした存在意義や存在価値という言葉などで表される存在の在り方(=自分はどのような存在か)についての悩みであるのに対して、実存主義者が考察しているのは存在そのもの(=存在していると言えるのか否か)についてであると考えられます。
ちなみに私がここに述べているような実存的な不安を感じたのは、10年近く前に不用意に自己分析を続けたため病態水準がどんどん悪化し離人症と呼ばれる状態に陥った時のみです。
その時の様子はこちらのページの書いています↓
統合失調症の幻覚・離人感を疑似体験-自己分析76回目
またこの実存的な不安は私見ですが、今日私たちが用いる「アイデンティティ」という概念を生み出したE.H.エリクソンという精神分析家が提唱した発達課題の一番最初の課題である0~2歳児の頃の「基本的信頼 vs. 不信」の段階を周囲の人との概ね健全な関わりによって自分の存在が肯定されることでその課題が克服され、その後は滅多なことでもない限り意識されなくなるものと考えられます。
実存主義哲学の臨床心理への適用は限定的なもの
以上のように実存的な不安はかつての私のように病態水準が極度に悪化でもしない限りは通常は襲われることのない不安であり、またエリクソンが示唆するように通常は0~2歳児の頃に直面し、多くの方は既にその不安を克服していると考えられるため、サルトルをはじめとした実存主義者が提唱した理論の臨床心理への適用は非常に限定的で、それは精神病水準、典型的には統合失調症のクライエントに有効なアプローチと考えられます。
実際、例えば同じく実存主義者でロゴセラピーを生み出し『夜と霧』の著者としても知られる精神科医のヴィクトール・E.フランクルの臨床例の中に、未来への夢も希望も失ったクライエントに対してフランクルがその人の存在意義を見つけ出しそれを伝えて励ます場面が出てきますが、これなどは精神病水準のクライエントに対しての標準的な技法とされる支持療法に該当するものと思われます。
またそれに対して例えば最も病態水準が高い神経症水準のクライエントに最初からロゴセラピーなどの実存主義的なアプローチを用いることは、その場は不安の解消や自尊感情の高まりという効果が得られたとしても、中長期的には自己洞察が十分に可能なはずのクライエントからその機会を奪ってしまうことに繋がり、その結果、建設的な自己変容を妨げてしまう可能性があると考えられます。
最後に一般的な指針ですが、実存的な悩みがない方にとって実存主義的な思想は本当のところはそれほど必要でもなく、ましてや私のように自己分析などによってわざわざ実存的な不安を意識化することは危険でさえあると私は考えています。
またサルトルの著書がトータルで200万部以上と哲学書しては異例の売れ行きを示していることから、もしかしたら実存的な不安とアイデンティティに関する不安との混同が生じているのかもしれないと個人的には思いました。
参考文献
サルトル『実存主義とは何か』2015年11月(100分 de 名著)
E.H.エリクソン著『アイデンティティとライフサイクル』
アーノルド・ウィンストン他著『支持的精神療法入門』