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現代人は心身二元論の影響を受けて、心とのみ同一化し身体が疎外されている

今回の記事は「私説:日本では身体疾患と精神疾患に対する印象が大きく異なる」の最後で触れた、「身体疾患=不運」「精神疾患=自己責任」という2つの考え方が生まれた要因についてです。

心身二元論の強い影響

身体疾患と精神疾患、両者に対する印象の大きな違いを生んでいる一番の要因は、心身二元論と呼ばれる思想の影響ではないかと考えられます。

心身二元論とは心的なものと物質的なものとを明確に分ける考え方で、いわゆる科学的・合理的思考がその典型です。
古くはプラトンにまでその源流を遡ることができますが、今日の科学的思考に決定的な影響を与えたのはデカルトだと言われています。

重要な点は、この心身二元論の区分が、観察可能なものとそうではないものとを区別することを意味しており、前者は客観性を有し、後者にはそれが認められないと判断されることです。

もう1点重要なのは心身二元論は、単に心的なものと物質的なものとを区別するだけでなく、両者をまるで相容れないものであるかのように相互作用を排し、それぞれで独立して論理を組み立てる傾向があることです。

そしてこの2つの特性が、観察可能な物質的なもののみで考察を進める科学的思考を飛躍的に発展させたと言われています。
これは観察可能な事柄に対象を限定し、他の不確かな事柄やそれらとの相互作用を考察対象から排除してしまえば、良くも悪くも物事が単純化され分かりやすくなるためではないかと考えられます。

例えば精神医学では、うつ病や統合失調症その他の精神疾患のメカニズムを、脳内の神経伝達物質やホルモンなどの生理学的な要因のみによって説明する傾向がありますが、これなども観察可能な事柄のみを考察対象とする科学的思考に根ざしたものと考えられます。

心身二元論の影響からか、現代人は心とのみ同一化し、身体が他者のように疎外されている

少々前置きが長くなりましたが、現代人はあらゆる領域で上述の科学的思考に慣れ親しんでしまっているため、自分の体を「物質」として認識し、その物質としての身体をまったく別の性質を有する精神(心)が所有しているかのような感覚を抱いているのではないかと考えられます。

この場合「私」とは精神(心)であり、身体はその私が所有している私以外の何か、つまり(私から見れば)他者ということになります。

「身体疾患=他者から被った被害」「精神疾患=その人自身の問題」という認識

この感覚が前回の記事で述べました「身体疾患=不運」「精神疾患=自己責任」との考えに結びついているのではないかと考えられます。
つまり身体疾患が他者の不具合から被った被害であるのに対して、精神疾患はその人自身の問題という認識です。

「身体の疎外」という病い

最後に、この心と身体の分離は、ユング心理学の流れを汲むプロセスワーク(プロセス指向心理学)をはじめ多くの心理療法や思想で身体の疎外として問題視されています。
その理由の一つは、身体が他者のようになってしまっていることで、現代人に特有の孤独の問題が生じていると考えられているためです。
次回はそのことについて記事にする予定です。

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