「個性」にこだわることの自己愛的な落とし穴〜自己愛講座31

今回は予定を変更して、個性について書かせていただきます。

個性とは~辞書的な意味

まず個性の定義についてですが、人間に用いる場合の辞書的な意味は「他の人とは違った、その人特有の属性・性格」というようなものになります。

ですが私はこの個性の辞書的な意味が、それにこだわる人にかえって苦痛をもたらしているのではないかと考えています。

辞書的な意味の個性は完全なオリジナル性を要求する

上述の個性の辞書的な意味では次の点が強調されています。
・他の人と違っていること
・他の人にはない、その人特有の要素であること

これらの条件を文字通りに受け止めれば、個性とは他の人とは少しも似たところのない完全にオリジナルなものである必要があることになります。

このため個性的であろうとすれば、他の誰とも少しも似たところのない人間になることを目指したり、あるいは他人が絶対に真似することのできないスキルや成果を追い求めることになったりしがちです。

この世に他の誰とも似たところのない完全にオリジナルな人間などいない

ところがこの地球上には73億人(2015年の統計)、日本だけでも約1億2千万人もの人々が暮らしています。
こうした状況の中で、辞書的な意味の個性を発揮することは果たして可能なのでしょうか?
私は不可能だと思います。

理屈っぽい考察と思われるかもしれませんが「自分だけのオリジナル」「自分にしかできない」ことを追い求める人は、必然的に「他人との絶対的な違い」を求めることにもなるため、無自覚なだけでこのような難問に直面しているはずです。

完全にオリジナルな存在であることを追い求める自己愛的な人

しかしそれでもこの困難な道を歩もうとする人の典型が自己愛的な性格構造の人々です。
なぜなら自己愛的な人は、常に自分の存在価値の問題に悩まされていることから、世界で唯一の存在であることを意味する個性の概念は、その問題の究極の解決手段のように思えるためです。

「他でもない自分にしかない、あるいはできないことを自分は持っている」
常に存在価値の問題に悩まされている自己愛的な人にとっては、これ以上ない理想的な状況でしょう。

「個性」とは他人との比較の概念

またこの個性が「他の人とは違った」という他人との比較で成り立つ概念であることも、自己愛的な人の心を引きつける一因です。

「理想化-価値下げ」の防衛機制が自己愛的な症状を生み出す~自己愛講座8」にも書きましたように、自己愛的な人は常に他人と自分とを比較し、かつ自分と相手とどちらが上かということに心を奪われがちです。
これは自分の存在価値の証の1つとして他人との優劣が大きなウエイトを占めているためと考えられます。

このような特徴を持つ自己愛的な人にとって、個性の概念は常に自分を悩ます存在価値を確固たるものにするだけでなく「自分には凡人にはない特別な○○がある」との優越感をももたらす非常に魅力的なものです。

「個性的であらねばならない」との風潮は社会全体が自己愛化している証

最後に個性をまるで病理であるかのように述べた今回の記事に違和感を感じた方がいらっしゃるかもしれませんので、その点について補足しておきます。

私は個性自体を病理だと思っているわけではありません。問題視しているのはそれを貪欲に追い求める強迫的な心理の方です。

以前に「私説:アイデンティティの感覚は自己不全感により自覚されるもの」の中で、自尊感情が満たされている人にとって「自分はどのような人間なのか」を意味するアイデンティティはほとんど意識されることがないと書いたことがあります。

私は個性もこれと同じで、自尊感情が満たされている人は「自分が個性的か否か」について心を煩わされることはほとんどなく、常にそのことが気になるのは自尊感情の低さの表れと考えています。

ですから「個性的であらねばならない」との風潮は、多くの人の自尊感情の低下を反映した社会全体の自己愛化の証ではないかと考えています。

次回は強迫的に求めなくても存在すると考えられる個性の姿について考察する予定です。

広告
最新情報をチェック!