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私説:個性とは意図的に作り出すものではなく、人生経験の中でいつの間にか形成される誰もが持っているもの

前回、「個性」にこだわることの自己愛的な落とし穴〜自己愛講座31の中で、辞書的な意味の個性の定義と、それが個人の心理に及ぼす悪影響について触れました。
今回はそれに変わる、私なりの個性のイメージについて触れます。

個性とは意図的に作り出すものではなく、人生経験の中でいつの間にか形成されるもの

最初に手前味噌ですが、私の写真作品が掲載された写真集に添えた文章を転載致します。

私は演出を施す作品以外はタブララサ、つまり心をできるだけ白紙の状態にし、その場で湧き起こる感覚・感情・思考などに任せて撮影するように心掛けている。
そうして作為的な影響を極力排除してもなお感じられるその作家独特の要素こそが個性と考えているためである。

転載元記事:『NEW JAPAN PHOTO ISSUE.3』が届きました

この文章はアーティストの作る作品の個性について述べたものですが、これが私の考えている個性のイメージです。
つまり個性とは、意図的に作り出されるものというよりも、そうした努力も含めて長い人生経験の中でいつの間にか形成されて行くようなものだと考えています。

個性とは多分に無自覚なもの

また個性とは、いつの間にか形成されていく代物ゆえ多分に無自覚なものとも言えます。
ですから当人は気づいていないが周囲の人には感じられる個性(その人らしさ)というものも存在し得ます。

個性とは誰もが持っているもの

さらに個性が人生経験の中でいつの間にか形成されるものであるということは、誰でもその人なりの個性を持っているということにもなります。
なぜなら、この世に何もかもまったく同じ人間というのは存在せず、また人生についても同様のためです。

誰もが他人とどこかしら似た部分を持ち、しかしそれでいて一人として同じ人間は存在しない。これが実情です。

しかしそれでも私たちは自分が個性的であるか否かを気にしたり、あるいはある人は個性的と感じられるのに別の人はそうではないということが起こり得ます。
次回はその時に感じられている個性の中身について考察する予定です。

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