今回は「生まれつき親のニーズを敏感に感じ取る能力を備えた子どもが支配的な親のターゲットとなる~『新版 才能ある子のドラマ』より」の最後に触れた、生まれながらに共感能力を身につけているような子どもの態度が、親に与える影響について考察します。
あまりに聞き分けの良い子どもは、親からの過剰な期待を促す
前回取り上げたアリス・ミラーいわく、他人のニーズを非常に敏感に感じ取る悲しい才能に恵まれてしまった子どもは、自分の都合を押し付けがちな支配的・操作的な親のターゲットになりやすいのですが、この親の性格はその子が生まれる前から同じような感じだったとは限りません。
それは次のようなことが考えられるためです。
先ほど述べた他人のニーズを非常に敏感に感じ取り、かつそのニーズに何でも応えてくれるような非常に聞き分けの良い子どもに接した場合、そうではない子どもに比べて親の側に「これくらい良いだろう」と要求が次々とエスカレートしがちになります。
なぜなら、その子が嫌な顔一つせず、時にはまるで「お母さん・お父さんの幸せは私の幸せ」と思っているかのように、喜んで望みどおりに振る舞ってくれるためです。
しかし、こうしたやり取りが繰り返されるうちに、やがて親の中に「この子は何でも望みを叶えてくれる子」との幻想(過剰な期待)が生まれ、そうなるのが当たり前との錯覚が生じることになります。
親子の役割の逆転現象
その極端な例が親子の役割の逆転現象と呼ばれるものです。
この状態では子どもの能力が過度に理想化されるあまり万能視され、物理的な次元では親が子供を世話してはいても、心理的な次元では親子の立場が完全に逆転しており、そのため親が心の傷つきを味わう度に子どもを頼り、その子に慰めてもらうようなことが頻繁に生じることになります。
こうなってしまっては、もはや子どもは親を頼ることができず、何か辛いことがあってもそれを親に話すことはできないため、我慢するか、もしくは外部に頼れる人を見つけるしかなくなります。
しかし一番の苦痛は、まだ子供であるにもかかわらず「そうしてくれるのが当たり前」と錯覚している親から心のケアを当然のように求められるため、子どもらしく振る舞うことが許されないことでしょう。
賢明な親なら子どもの態度がもたらす促しに抵抗を試みる
もっともこのように書きますと、促された親にはまったく非がないように思われるかもしれませんが決してそうではありません。
賢明な親、より具体的には平均的な共感能力を有した親なら、たとえ自分が楽だとしても時には子どもの立場に立って考えを巡らせることで、それが好ましくない状態であることに気づき、子どもの態度がもたらす促しに抵抗を試みるでしょう。
また同じような親に2人以上の子どもがいる場合にも、聞き分けの良い子ばかりに様々な要求をするのではなく、どの子もできるだけ公平に育てようと努力するでしょう。
病理的な親子関係は、どちらかが抵抗を示せば避けられるもの
以上のように病理的な親子関係というものは、片方の側の要因だけでは生じ得ず、双方の要因が伴って初めて生じるものと考えられます。
したがって一部で言われているように、避けようがなく連鎖して行くものではなく、親子のどちらかが抵抗を示せば避けられるものである可能性があると私は考えています。