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生まれつき親のニーズを敏感に感じ取る能力を備えた子どもが支配的な親のターゲットとなる~『新版 才能ある子のドラマ』より

先日の記事「ダン・ニューハース著『不幸にする親』~親による子どもの有害なコントロールの有様を広範囲にカバーした本」の最後に、次回はコフートについて触れると書きましたが、すぐに記事にできそうにありませんので、予定を変更して『不幸にする親』とは異なり、機能不全親子が生まれる要因として子どもの気質についても触れている本として、以前に一度紹介したこのある『新版 才能ある子のドラマ』を改めて紹介します。

『新版 才能ある子のドラマ』は、現在は小説家として活動している精神分析家アリス・ミラーの最初の著書『才能ある子のドラマ』の改訂版です。

機能不全親子が生まれる要因を親と子どもの相互作用として論じた画期的な本

『新版 才能ある子のドラマ』の特筆すべき点は『不幸にする親』などの類書とは異なり、現在NHKで放送中の「お母さん、娘をやめていいですか?」でも示されているような健全とは言いがたい機能不全親子が生まれる要因を親だけでなく子どもについても考察していることです。

同書によれば機能不全親子とは、もっぱら毒親とも称される不健全な養育態度で子どもと関わる親によって生み出されるものではなく、それに加えて気質と呼ばれる子どもの生まれながらの性格傾向も深く関与しており、両者の相互作用の産物と考えられます。

具体的には、生まれつき他の子どもよりも親の考えや気持ちを察する能力に秀でた子どもが、物心ついた頃から親のニーズ(期待)を的確に汲み取り、そのニーズを叶えるべく(聞き分けの)良い子、あるいは手のかからない子に育って行くというものです。

この様子は今NHKで放送中のドラマ『お母さん、娘をやめていいですか?』でも示されています。
第3話や4話で、主人公の娘が父親さえ気づかない母親の本心を感じ取り、その期待に応えるべく自分の望みを諦めようとしたり、あるいは母親の秘めたる怒りに怯えたりするシーンなどがそれです。

生まれつき親のニーズを敏感に感じ取る能力を備えた子どもが支配的な親のターゲットとなる

ではなぜ他人のニーズに敏感な子ばかりに、親の期待が集中するのか?
それは親の身になってみれば分かります。

子どもが二人いて、一人は言いつけを何でも守る子ども、もう一人は反抗ばかりする子どもだとします。
子どもにまったく無関心でない限り、親は子どもに対して〇〇のような子どもに育って欲しいとの願望を抱くものですが、果たしてその期待はどちらの子どもに向けられやすいでしょうか?
答えは当然前者の言いつけを何でも守る子どもの方へです。その方が遥かに楽ですから。

このことを如実に示すエピソードが我が家にあります。
中学か高校の頃だったと思いますが、自分だけが色々なことを強制的にやらされていると感じていた私は、ある時母にその理由を尋ねたところ次のような答えが返って来ました。
「〇〇(弟の名前)は言っても聞かないから」
つまり私は「反抗せずに言うことを聞くから」何でも言うことを聞かせるということです。

このように『不幸にする親』などで描かれている子どもを支配する親子関係とは、親が嫌がる子どもを無理矢理コントロールするケースよりも、聞き分けの良い子どもとの間に生じるケースの方が遥かに多いものです。
だとすると支配的な親子関係の要因をもっぱら親の側にばかり求める解釈は、必要以上に親を悪者に仕立て上げる結果をもたらし、そうして生まれたのが毒親・毒母とういう呼称ではないかと考えられます。

もっとも『新版 才能ある子のドラマ』で示されている親子の相互作用論は、子どもにも非がある、責任があると言っている訳ではありません。
どのような性格傾向を有して生まれて来るのかを子ども自身はコントロールできないのですから、それは酷というものです。

この辺りの事情をアリス・ミラーは『新版 才能ある子のドラマ』で、その子を苦しめる才能として描写していますが、これは一概に皮肉とは言えません。
なぜならミラーいわく、その悲しい才能に恵まれてしまった子どもが、やがては大きくなりその才能を共感能力という形で生かして心理療法家になるケースが大変多いためです。
私も事実そうなりましたし。

次回は度々話が脱線して恐縮ですが、この生まれながらに共感能力を身につけているような子どもの態度が、親に与える影響について考察します。
つまり親子関係だではなく、親の性格でさえ子どもの影響で生じる部分があるということです。

紹介文献

アリス・ミラー著『新版 才能ある子のドラマ―真の自己を求めて』新曜社、1996年

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