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過干渉に陥りがちな親の心理の特徴〜自己愛講座36

今回の記事は「過干渉と過保護の違いと、それらが温床となる自己愛性パーソナリティのタイプの違い〜自己愛講座35」の続編として、過干渉や過保護に陥りがちな親の心理の特徴について記述する予定でしたが、過保護の内容が予想していたより長くなりそうですので、今回はそれよりも広く見られる過干渉に絞ることに致します。

(あくまで解釈上のこととして)自覚なき干渉や強いコントロール欲求が存在

まず過干渉には文字通り親から子へを過剰なまでの干渉が存在しますが、当の親自身にはその自覚はほとんどありません。
後述するように、子どものことが心配で心配で仕方がないため、とても放ってなどおけないというのが親の気持ちの典型です。

また過干渉の心理の説明として、よくコントロール欲求が挙げられますが、これも心理の専門家から見ればそのように見える、つまり解釈に過ぎないであり、親自身がその欲求を自覚しているわけではありません。

このように過干渉の心理の説明の多くは事実ではなく解釈の提示であり、親自身は自らの行為を愛情に基づくものと認識している点が特徴です。

過干渉を「愛情の証」と錯覚することが親子共々の傷つきを生み出す

また上述ような特徴があるからこそ、子どもが親の過干渉的な行為に対して不満な態度を示すと「こんなに愛しているのに、その気持ちを(少しも)分かってくれない」と思い深く傷ついてしまうことにもなると考えられます。

それだけではありません。その親の深い傷つきは態度を通して子どもにも伝わりますので、今度は子どもの方が「自分が不満を感じてしまったために親を傷つけてしまった」と罪悪感を感じてしまうことも起こり得ます。

共生期の親子関係では、子どもの側にも「愛情の証」との錯覚が生じる

なお、古典的な精神分析理論で共生期と呼ばれる、極めて重症域の親子関係では、子どもの側も親の過干渉的な態度を「愛情の証」との錯覚し、居心地の良さを感じるようになります。

こうした親子関係は以前の記事「NHK「お母さん、娘をやめていいですか?」~仲良し親子の関係に潜む共生期の恐ろしさをリアルに描いたドラマ」で取り上げたドラマの冒頭部分で的確に表現されていました。
教師を務める主人公が、常にスマホで見守り、事あるごとにアドバイスをしてくれる母親の愛情に包まれて、満ち足りた日々を送っている様子がその状態を示しています。

ですが、こうした未だに幼少期の延長線上にあるような未熟な親子関係が、日本では病理とみなされることはあまりなく、むしろ仲の良い理想的な親子関係と捉えられることが多い点は上述の過去の記事でも指摘した通りです。

高圧的な態度に出られるのは子どもに対してだけという内弁慶の傾向

また過干渉の親は、ドラマなどではモンスターペアレントのように描かれることが多いようですが、実際の過干渉の親は、私の親もそうでしたが、家族以外の人に対しては内心ビクビクしながら気疲れしてしまうほどの気遣いをしてしまうようです。
ですからモンスターペアレント像は多分に制作上の演出で、そうした行為に出る過干渉タイプの親は、実際はそれほど多くはないのではないかと考えています。

それよりも過剰に世間体を気にして、外面が非常に良いのが特徴と考えられます。

子どもに対する過剰な心配が過干渉を生む

最後に過干渉的な行為を生み出す親の直接的な動機についてですが、このような行為は親の子どもに対する過剰な心配が最も大きな要因と考えられます。
つまり子どもを支配したいわけではなく、また思い通りにしたいわけでもない。
意識されているのは(どんな些細なことでも)子どものことが心配で心配で仕方がなく、とても放ってなどおけないという、居ても立っても居られない心境です。

予期不安が強い傾向

またこの過剰なまでの心配ぶりから推測される親の心理は、総じて不安が強く、特に予期不安と呼ばれる、これから起こる可能性がある(確率がゼロではない)ことに対して「もし起きたらどうしよう」と心配になる傾向を有していることです。

予期不安が強い状態では、起きる可能性が少しでもあるだけでそれは心配のタネとなるため、恒常的に不安に支配され、かつその不安のタネに敏感にもなりがちなため、その不安を取り除くことに心を奪われ多くの時間をそのことに費やすことにもなります。

共生期の親にとって子どもは心理的には自分の一部、あるいは融合した存在

さらに上記の子どもに対する不安の強さは、先ほど述べた共生期の心理状態とも関連していると思われます。

共生期では、物理的には別個の存在であることを認識してはいても、気持ちの上では未分化の状態が想定されています。
これは乳幼児期の母子密着の感覚が、子どもが成人したのちもそのまま残っているような心理状態や互いの関係を意味します。

このため未だに子離れできず共生期の状態にとどまっている親にとって、子どもの心配事は自分自身の心配事と同じレベルのものとして体感されることになります。

この意味で過干渉とは、あくまで他人から見たときの「親から子への」行為の捉え方であり、当の親からすればそれは子どもという他者への心配心ではなく「私たち」という不可分な1つのユニット、あるいは自分の一部分にまつわる問題への心配という感覚なのです。

またこの子どもを自分の一部のように錯覚する心理は、これまでの自己愛講座で触れてきた自己対象と同じく、他者を自分の一部として道具のように利用することで自尊感情を高める効果を発揮しますが、その他者との心理的な境界がほとんど存在しない点で、より重症と想定されています。

次回は過保護の親の心理について考察する予定です。

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