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「毒ママ・毒親」概念の普及~スーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」が子育てや社会に果たした貢献

先週のNHKEテレ「オトナへのトビラTV」で「うちの親、毒ママ!?」と題して、過干渉や過度な期待に苦しむ子どもの実態が紹介されていました。
番組の内容はリンク先のページや、今晩12月22日(月)の24時25分~24時54分の再放送をご覧いただくと致しまして、今回はこの毒ママについて書かせていただきます。

スーザン・フォワードの「毒になる親 一生苦しむ子供」が「毒ママ・毒親」普及のきかっけ?

毒ママとは子どもにとって有害と考えられているような子育ての仕方をする母親のことを指す言葉ですが、この言葉よりも毒親の方がもしかしたら認知度は高いかもしれません。
ですので今回は主に後者の毒親について書かせていただきます。
(ただ子育てを担っているのは主に母親であるケースがほとんどですので、毒親とは実質、毒ママを意味するのも、また事実です)

私見ですが、この毒親という言葉が広く使われるようになったのには、スーザン・フォワードの「毒になる親 一生苦しむ子供」という本が話題となり多くの方に読まれたことが一つのきかっけとなったのではないかと思われます。

「毒になる親 一生苦しむ子供」が子育てや社会に果たした貢献

この「毒になる親 一生苦しむ子供」が子育てや社会に果たした意義(貢献)は主に次の2点と思われます。

1. 親が愛情ゆえの行為と思い込んでいることのなかには、過保護過度の期待など子どもにとって非常に有害な行為が含まれていることを分かりやすく整理して示した。
2. そのような子育ての結果生じる精神疾患や心の問題について、子どもには責任がないことを明確に示した。

毒ママ・毒親という言葉が使われる以前は愛情の有無は問われても、その内容が今ほど問われるようなことはなかった

「毒になる親 一生苦しむ子供」発売以前にも、上述の2つのことは専門家の間では広く知られていても、それが世間一般にまで広まることはなかったように思います。
それまでは親に愛情がないことは問題視されても、当人が愛情ゆえの行為と思ってさえいれば、たとえ子供に好ましくない状態が生じていたとしても「家庭の事情」として大目に見られていたような気がしてなりません。

「毒になる親 一生苦しむ子供」は子どもを地獄から救っただけでなく、親の自身の行為への自覚をも促した

それが「毒になる親 一生苦しむ子供」という本の発売などをきっかけに、愛情には本来の意味の健全なものと、そうではない、むしろ害になるものさえあるのだ、つまり愛情の有無よりも質こそが問題なのだということを示した。これが一つめの意義です。

もう一つは、それまでは愛情の質は問われなかったため、親が愛情ゆえと思って行う行為を子どもは、たとえそれがどんなに辛いことだったとしても「自分を愛してくれているからこその行為」「自分のためにしてくれていること」と無条件に肯定し我慢しなければならなかった事態(地獄)から子供たちを救い出し、そうした行為は本当の愛情などではない、むしろ良くないことなのだ、だから怒りを感じても良いのだ、ということを示したことです。

またこうした偽りの愛情とも言える行為はほとんどの場合その自覚なしに、つまり「愛しているからこそ」「子どものためを思っての行為」と確信して行われていますので、子どもの幸福を願う親にとっても自身の行為への自覚を促したという意味で、こうした内容はとても役立ったに違いありません。

以上が私から見たスーザン・フォワード「毒になる親 一生苦しむ子供」が子育てや社会に果たした貢献です。

ただ、この本が日本で発売されてから10年以上経ちますが、親の子育ての質への理解が進んだ反面、この本の拡大解釈がその一因と思われますが、あまり好ましくない現象が生じて来ている気がしてなりません。
次回のこのテーマでは、その点について書かせていただく予定です。

参考文献

スーザン・フォワード著『毒になる親 完全版』、毎日新聞出版、2021年

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