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子どもの虐待防止には「評価」や「コントロール」する代わりに「関心」を持つことが効果的

今年の初めに、親戚の子どもとの関わりから得られた知見を「クライエント中心療法の内的準拠枠に関する考察」にまとめました。

今回はその記事の考察の素材となった自己分析のブログ「苦手なはずの子供の辛さを感じ取ったことで急に身近に感じられ、関わりが持てるように変化」に登場する、親戚の子どもが嫌いな食べ物が食べられるようになったエピソードから得られた知見を新たに記事にいたします。

具体的には、私のエピソードを子どもの虐待のケースと比較することで、子どもの虐待へと至ってしまう要因やその防止策について、私なりに考察してみます。

目次:
苦手なはずの子どもと接していても、不思議とストレスを感じなかった
「好奇心」を持つか「評価」するかで、気持ちに大きな違いが生まれる
常に評価に囚われているような心理状態は、子育てにおいても非常に有害
子どもを評価するのは、自分の価値観のみで子どもと接する非共感的な態度
「評価」する代わりに「関心」を持つことのメリット

苦手なはずの子どもと接していても、不思議とストレスを感じなかった

上述のブログにも書いた食事の時のことを後から振り返って気づいたことは、親戚の子ども(小学4年か5年生)と接していてストレスを感じることがほとんどなかったことです。
しかもこれまで子どもと接することが苦手だったはずの私がです。

子育てや福祉の番組では、しばしば子どもが思い通りに行動してくれないことが多大なストレスとなり、それがやがて虐待につながってしまうケースが紹介されます。
この時の私も、その子に対して食べ物の好き嫌いがなくなって欲しいとの願望を抱いていましたので、その点は虐待に及んでしまう親と同じのはずです。

「好奇心」を持つか「評価」するかで、気持ちに大きな違いが生まれる

そこで何が私のケースの場合プラスに働いたのか考えてみると、思い浮かんだのが好奇心でした。
それはどのような好奇心かと言えば「この子には、どのような理由から食べ物の好き嫌いが生じているのだろう?」という疑問の答えを見つけたいという願望です。

それに対して、子どもが思い通りに行動してくれないことがストレスとなり、時に虐待に及んでしまうような親に共通しているのは、ネガティブな評価からのダメ出しです。
具体的には、できるようにならなければいけないことをいつまで経ってもできるようにならない子どもに対するダメ出しだけでなく、そのように子どもを促すことができない自分の至らなさに対するダメ出しです。

このように関心が「好奇心」に向くか「評価」に向くかによって、気持ちに非常に大きな違いが生まれると考えられます。

常に評価に囚われているような心理状態は、子育てにおいても非常に有害

だとすれば将来社会生活を営むために必要となる最低限度のコミュニケーションスキルを身につけさせるために行われる「しつけ」においても、常に評価に囚われているような心理状態で行われることは好ましくないと言えます。

なおここでネガティブな評価に限らず、評価すること自体を問題視しているのは、この世の出来事は常に肯定的に感じられる訳ではないことに加えて、ネガティブな評価を防ぐために事あるごとに無理にでも褒め続けるような親の態度も、子どもにとって非常に有害であることが指摘されているためです。

例えば精神分析の主要な理論を網羅した『パーソナリティ障害の診断と治療』の「自己愛性パーソナリティ」の章では、そのような不自然な親の態度は子どもにとって欺瞞、つまり何かを誤魔化されていると感じられることから、そこまでして隠さねばならないほど自分には何か致命的な欠陥があるに違いないとの思い込みを生じさせ、むしろ深刻な自己不信感に陥ってしまいかねないことが指摘されています。

子どもを評価するのは、自分の価値観のみで子どもと接する非共感的な態度

また常に子どもを評価に晒すような親の態度は、カール・ロジャーズのカウンセリングの理論(クライエント中心療法)に照らしてもやはり有害と言えます。

なぜなら評価とは、自分の中にある基準に照らして他者の価値を判断する行為と言えることから、子どもの立場に立って物事を考えたり気持ちを察するなどの共感性を欠いていることになり、このような態度では子どもは親から自分という存在が大切に思われていると感じることができないと考えられているためです。

補足) ときどき子どものためを思って行動することを子どもの立場に立っていると勘違いしている方がいらっしゃいますが、それは大きな誤りです。
その理由は次のページで詳しく説明いたします。

「評価」する代わりに「関心」を持つことのメリット

以上のように評価という行為は、ネガティブに感じられる時には親の心に不快な感情を生じさせそれがストレスになるだけでなく、それを避けるために無理にポジティブに思い込もうとする態度にも別の問題が生じてしまいます。

さらにこの評価という行為は無自覚に行われることも多いことから、子どもと接する時には意識的に評価を避ける習慣づけが大切ではないかと思われます。

そして評価に変えて「この子はどんな子なんだろう」と改めて関心を持ち、その子の様子をよく観察した方が、私が経験したようにストレスも溜まりませんし、これまで気づかなったその子の新たな側面を発見できる喜びも感じられるようになることが期待できます。
その結果、評価ばかりしていた時よりも、ずっと優しい気持ちになり、その気持ちが子どもに伝わるはずです。

次のページでは、評価以上に子育てにとって有害かつ虐待の直接的な要因となる、子どもをコントロールする心理について考察いたします。

参考文献

パーソナリティ障害の診断と治療

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