ミック・クーパー著『エビデンスにもとづくカウンセリング効果の研究』

「クライアントが良くなるためには、一次的に症状が悪化する必要がある」との仮説を安易に信じるのは危険

要約:特に分析的なセラピーの間で伝わる「自身の心と向き合うセラピーでは、一時的にせよ精神が不安定になるため、その間に症状が悪化することはよくある」旨の仮説を安易に信じることは、クライアントの苦悩を過小評価してしまう危険性があると考えられる。

クライアントの回復に、一時的な症状の悪化は必要ないとするエビデンス

以前に紹介したミック・クーパー著『エビデンスにもとづくカウンセリング効果の研究』の37-38ページに、これまでの心理臨床の常識を覆すような非常に重要な研究結果が引用されていました。

セラピー開始時に好成果をあげるクライアントは継続して成果を上げ続ける傾向があり、他方、セラピーに対して示す初期の反応が乏しいクライアントは、悪化していく可能性がより高い(Lambert, 2007)。
(中略)
「クライアントが良くなる前に悪くなる必要がある」という仮説を裏づける研究エビデンスはほとんどない。
むしろクライアントの症状が悪くなっていく場合、これはクライアントが引き続き悪くなっていくか、セラピーをドロップアウトすることの大きな予兆(Lambert, 2007)。

症状悪化必要説の精神分析的な根拠

臨床心理、特に初期の精神分析の文献では、この「症状が改善するためには一時的に悪化する必要がある、あるいはそのようなケースはよくある旨の記述をしばしば目にしました。
また同様のことは、熟練のセラピストから聞かされたこともあります。

ちなみにこの仮説(以下、症状悪化必要説)の根拠は、例えば精神分析理論では、臨床的なサポートが必要とされる中でも最も健全度が高い神経症水準に用いられる探索的アプローチでは、これまでは辛くて目を背けがちであった自分の心と徹底的に向き合うことになるため、一次的にせよストレスフルな状況によって心が不安定になってもおかしくない、などと説明されています。

このような説明は理屈の上ではもっともらしく聞こえるため、私自身も症状悪化を、必要とまでは思わないまでも、どのクライアントでも十分起こりえることだと考えてきました。

症状の悪化はセラピーを変化させるべきシグナル

しかしこの仮説が、実は科学的根拠が乏しいものであるとすると、この仮説を信じてセッションに臨むことは非常に危険ではないかと考えられます。
なぜなら、この仮説に固執してクライアントと接すると、助けになるどころか、かえって症状を悪化させてしまうことが予想されるためです。

したがって同書では、そのすぐ後の部分で次のような対応の重要性を指摘しています。

例えばセラピーにおける関係の改善を試みる、介入方法を変える、クライアントのソーシャルサポートの強化を促す、あるいは次の紹介先を考慮する(Lambert, 2007)。

症状悪化必要説を安易に信じることは、クライアントに害を与えるリスクを高めてしまう

症状悪化必要説の一番の弊害は、クライアントの苦痛に鈍感になることで軽視し、その度合いを見誤ってしまうことです。
またそれに加えて、その不適切なアセスメントの影響により、不用意に非共感的な態度を表明してクライアントを傷つけてしまうことも懸念されます。

もし症状悪化必要説が妥当な見解であれば、クライアントからの症状悪化の報告は好ましい兆候と見なされるため、そのことを深刻に受け止めることはないでしょう。
むしろ笑みを浮かべながら「それは決して悪いことではないですよ」などと応じてしまうかもしれません。

このように特定の理論を、クライアントの反応によってその是非を確かめることなく無条件に正しいものと信じ込む態度には、そこから生じる非共感的な関わりによってクライアントを傷つけてしまうリスクが常につきまといます。

それでもこのような対応が少なからず行われてきたのは、多くのセラピストの間で症状悪化必要説が正しいものと信じられていたからこそでしょう。
しかしその妥当性が疑問視されるようになった今、症状悪化必要説を積極的に採用する根拠は乏しいように思えます。

心理職に携わるものは、今回取り上げた症状悪化必要説に限らず、本来は役立つはずの理論が、むしろクライアントを傷つけるものになってしまう危険性が常にあることを、肝に命じておくべきでしょう。

引用文献

ミック・クーパー著『エビデンスにもとづくカウンセリング効果の研究―クライアントにとって何が最も役に立つのか』、岩崎学術出版社、2012年

ミック・クーパー著『エビデンスにもとづくカウンセリング効果の研究』
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