ドラマ『きみが心に棲みついた』の境界性パーソナリティの心理描写の緻密さに驚く
今、TBSで『きみが心に棲みついた』というドラマを放送中です。
私は吉岡里帆さんのファンということもあり見始めたのですが、恋愛ドラマと認識していたため予想外の内容に驚くとともに、職業柄とても関心を持ちました。
それは吉岡さんが演じるこのドラマの主人公の今日子を通じて、通称ボーダーと呼ばれる境界性パーソナリティの心理が非常に巧みに描かれているように感じられたためです。
ただし(あくまで医師ではない者の私見ですが)DSMの境界性パーソナリティ障害の診断基準を満たすほど重症とは思えませんので、記事のタイトルの記述を性格の1タイプを表す境界性パーソナリティに留めました。
私はここまで緻密に境界性パーソナリティの特徴を捉えたドラマや映画を始めて見ましたので、とても驚きました。
一貫性のない態度が「理解しがたい人」との印象を与えてしまう
以前に「境界性パーソナリティ障害は重症の自己愛性パーソナリティ障害というのが私の見解」という記事を書きましたように、私は一般的な見解とは異なり、境界性パーソナリティを自己愛性パーソナリティが重症化して不安定さが増した状態と認識しております。
そしてこの心の不安定さが、態度のめまぐるしい変化を生み出し、その結果、周囲の人から「何を考えているのか理解しがたい人」などと思われてしまう要因になっていると考えられます。
必死に逃れたはずの元恋人との復縁を希望するという矛盾した心理
この境界性パーソナリティの理解しがたい印象は、ドラマ『きみが心に棲みついた』では、DVを繰り返していたと推測される向井理さん演じる元恋人に対する主人公の矛盾した態度への、視聴者のネガティブな反応に端的に示されていました。
主人公は彼のDVから逃れるために必死の思いで彼と別れたはずなのに、その彼が別の女性(石橋杏奈さん演じる同期入社の同僚)と親しげにしているところを見かけた途端「そこ(そのポジション)にいるはずなのは私なのに!」と激しい羨望に駆られ、彼と彼女の間を引き裂き、元の関係を取り戻そうと試みます。
この第2話の終盤のシーンが特に視聴者には理解しがたいものだったらしく、ネットでの批判や拒否反応の大半はこのシーンに集中していました。
スプリッティングが矛盾した態度を持続させる
上述の主人公の矛盾した態度は、精神分析、特に対象関係論の仮説では、スプリッティングと呼ばれる防衛機制の働きと考えられています。
防衛機制とは、耐えられないほどの強い精神的ストレスが生じた時に半ば自動的に作動する心の安全機能の総称ですが、この概念も精神分析における仮説で、フロイトと娘のアンナによって体系化されました。
スプリッティングとは、意識している事柄の中に、互いに相容れないほど矛盾したものが存在し、なおかつその矛盾がもたらす葛藤に耐えられない時に、矛盾したもの同士が心の中で真っ二つに引き裂かれることで矛盾が解消し楽になる作用をもたらす防衛機制のことです。
先ほど紹介したドラマのシーンを理解しがたいと感じた人は(当事者ではないので当たり前かもしれませんが)心にスプリッティングが生じていない人です。
だからこそ元彼のDVから必死に逃れ今もその彼のことを嫌悪している気持ちと、その同じ彼との復縁をためらいなく望む気持ちとの間に、容認できないほどの矛盾を感じることができたのです。
ところが主人公のように恐らくはスプリッティングが頻繁に生じるような人の場合、同じ場面に遭遇しても、その働きにより2つの気持ちはまったく関連のないものと認識され、かつ常に片方の気持ちだけが意識される状態となります。
このため元彼が会社の同僚と親しくしている様子を目撃した時の主人公の心に生じていたのは、同僚が占めているポジションを奪い自分がその座につくことのみで、元彼への激しい嫌悪感はその瞬間は跡形もなく消え去っている、こうしたことを可能にすると考えられているのがスプリッティングという防衛機制です。
最後に、仮に主人公の矛盾した態度をスプリッティングで説明することはできたとしても、そもそも2度と会いたいくないほど嫌っている男性と復縁したい、さらには「この人なしでは寂しくて生きていけない」などという気持ちが生じること自体も理解しがたいと感じる方がいらっしゃるかと思います。
実はこの描写にも境界性パーソナリティの特徴が表れています。
次回がこうした気持ちが生じる要因を、場合によっては2回に分けて記事にする予定です。
これほどのボリュームになるほど『きみが心に棲みついた』は心理描写において中身の濃いドラマなのです。
追伸)どなたが心理監修されたのか調べてみましたが、残念ながら公式サイトにクレジットはありませんでした。
もし脚本家の方のみの力量によるものなのだとしたら、その手腕に脱帽です。
境界性パーソナリティの心理 参考文献
ナンシー・マックウィリアムズ著『パーソナリティ障害の診断と治療』、創元社、2005年
G.O. ギャバード著『精神力動的精神医学 第5版―その臨床実践』、岩崎学術出版社、2019年