情緒的理解による自己受容と知的理解(洞察)の関係

情緒的理解と知的理解の治療効果の違い:

心理カウンセリングの理論では、精神障害の治療には患者さん(クライエント)による「症状や生活の障害となっている無意識の信念に対する情緒的な理解(感情と実感を伴った理解)」が重要視され、情緒を伴わない理解(知的洞察あるは単に洞察と呼ばれる知的な理解)だけでは高い治療効果は望めないとされています。
これは心理カウンセリングの理論では、知的な理解には感情が疎外*されており、これが精神障害的症状や無意識の信念の自己受容を妨げると考えられているためです。
*知的な理解における感情の疎外は精神分析(特に自我心理学)理論では、知的な防衛機制(知性化・隔離・分離・合理化など)の働きによるものと説明されます。

知的理解はクライエントの抵抗?

このため心理カウンセリングの場でクライエントの情緒を伴わない知的な自己洞察を聞くたびに、内心ため息をついたり心理カウンセリングの行く末を悲観したりすることがよくありました。
(情緒を伴わない知的な理解は防衛機制という無意識の作用によるものでありクライエントに直接非がないにもかかわらず)内心クライエントに問題があるために心理カウンセリングが上手くいかないのだと、治療に抵抗を示すクライエントを責めていたのです。

私自身の情緒的理解の体験:

しかし自己愛障害の心理を原因とした、女性に監視・凝視される女性恐怖症的症状の克服-自己分析・治療234回で、自己愛障害を原因とした対人恐怖的症状に対する情緒的理解からの自己受容をリアルに体験したことで、知的理解(知的洞察)に対する考えが一変しました。
まず最初のうち症状や障害となっている無意識の心理に対する理解はもっぱら知的な理解に終始します。ところがこの知的な理解も自分の新たな一面を発見する興奮を伴うため、あたかも情緒的理解であるかのような錯覚を起こします。
しかし自己理解が進んだにもかかわらず何ら症状に改善が見られないため、後からそれが知的な理解に過ぎなかったことに気づかされます。
こうした症状の改善にはあまり結びつかない知的な自己理解を半年ほど繰り返すうちに、ある日突然それまで体験したことのないリアルな実感を伴った理解(情緒的理解)がもたらされました。
しかしその内容はこれまで何度も知的には理解してきたことであり何ら目新しいものではありませんでした。唯一違っていたのはリアルな実感の有無です。

情緒的理解と知的な理解(知的洞察)との体感の違い:

以上の私の体験によれば、情緒的理解と知的な理解(知的洞察)とでは次のような体験の違いがみられます。
情緒的理解ではこれまで意識されることのなかった感情(恐怖心など)が意識化されるため、(十分に耐えられる範囲ではありますが)心理的な苦痛が生じます。
それに対して知的な理解(知的洞察)では、まだ情緒的理解では生じる辛い感情に耐えられないため、感情を除いた知的な内容のみが意識化されます。その結果、自分の新たな一面を発見した喜び(自己発見の喜び)に包まれます。

情緒的理解による自己受容と知的理解(洞察)の関係:

上述の私自身の自由連想法やゲシュタルト療法を用いた自己分析による治療(自己治療)を考察いたしますと、情緒的理解による自己受容と知的理解(洞察)との間には次のような関係があると考えられます。
精神障害の症状および障害となっている無意識の心理に対する自己理解は最初のうちは感情をあまり伴わない知的な理解に終始し、しばしばウンザリするほど同じような内容の知的理解が続きます。
しかし辛抱強く(知的理解に過ぎない)自己理解の作業を続けるうちに、あるとき理解の内容はさほど変わらないにもかかわらず、これまでの知的理解では体験したことのないリアルな実感(多くの場合、身につまされるような恐怖)が生じ、この情緒的理解の体験が症状や無意識の心理に対する自己受容へと結びつきます。
これはトラウマ(心的外傷体験)を例にとれば、辛すぎて意識から締め出してしまった体験は思い出そうとしても辛い部分、つまり情緒(感情)は簡単には意識化されないため、知的な内容のみが意識化され、これが知的理解(洞察)となります。
しかしこの辛い情緒を伴わない知的理解も何度も繰り返されることで徐々に心理的な強さが培われていき、当時は耐えられなかった体験に十分耐えうる心理的な強さがついた瞬間に、これまで無意識にとどまっていた辛い情緒的体験が意識化されます*。
そして当時は耐えられなかった体験に十分耐えうる心理的な強さがついたわけですから、当然精神障害的な症状も消失ないしは大幅に軽減するではないかと考えられます。
*幸いにも知的理解に伴う「自己発見の喜び」が、将来的な情緒的理解へのモチベーションを高めます。

初回面接から情緒的な理解を求めるのは無理な相談:

したがって初回面接から情緒的な理解をクライエントに求めるのは無理な相談です。
心理カウンセリングにおいて知的な理解(知的洞察)が延々と続いたとしても、それは(心理カウンセラー側の予測に反して)即座にクライエントの抵抗や心理カウンセリングの行き詰まり・失敗を意味しません。
もし初回面接で情緒的な理解が得られたのだとしたら、それは精神障害には該当しないもっと軽微な心理的問題であったはずです。
P.S. 最後にお茶を濁すようですが、自己分析の中で私は何度か必要に迫られて自己分析とは呼べない作業(ゲシュタルト療法による自己傾聴*)を行いました。
したがって、もしかしたら情緒的理解への貢献のいくらかは自己傾聴によるものなのかもしれません。しかし今となってはそれを確かめる術はありません(T_T)
*ゲシュタルト療法のテクニックを使い、問題を抱える自己に対して、別の自己の部分が心理カウンセラー役となり傾聴することで共感的理解を示す技法。
関連ブログ:ゲシュタルト療法によるインナーチャイルドの癒し・自己分析・治療

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