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自己愛障害による心理療法家・心理療法グループの教義化・宗教化の病理

自己愛障害・アダルトチルドレンの過去を持つ心理療法家

才能ある子のドラマ/アリス・ミラー』によれば、心理療法家を志す人のほとんどは、幼少期に親からたびたび自己愛の延長物(親の願望を満たすための手段)として扱われた経験を持つ、いわゆるアダルトチルドレンだそうです。

このアリス・ミラーの指摘が正しければ、心理療法家の多くが(少なくても訓練時においては)自己愛に何らかの障害を抱えている可能性が高いことになります。
そしてこの心理療法家の心に内在する自己愛障害の心理が、心理療法の教義化・宗教化の病理に深く関わっているように思えます。

※私自身も自由連想法による自己分析の中に、母親の自己愛の延長物として機能していた形跡が無数に表れてきましたので、アリス・ミラーの指摘どおりの人生を歩んできたといえます。

以下に述べる心理療法家・心理療法グループの病理は多分に自己反省的な洞察によるものです。

自己愛障害の理想化(過大評価)傾向

どんな人にも「自分の方が正しい」と思い込む傾向が多少なりともありますが、自己愛に障害を抱える人は特にこの傾向が顕著となります。
なぜなら自己愛障害の人は理想自己(頭の中で思い描く自分のイメージ)が極端に高く、その自己イメージに近づくためにどうしても自分を理想化(過大評価)せざるをえないためです。

このように自分を理想化しがちな傾向を持つ人が心理療法の世界に興味を持ちますと、その心理療法に対しても容易に理想化の心理が働きます。
なぜなら自分が惹かれるものが素晴らしいものだからこそ、その素晴らしいものの価値が分かる自分もまた素晴らしい人間だと思えるのであり、そうでなければ自分は「つまらない何の価値もない人間」だと感じられ絶望的な虚無感に襲われてしまいます。

もし自己愛障害の人が自分の信じる心理療法が少しでも間違っていると感じられてしまったとしたら…(自分でも信じられないぐらい)瞬時に興味が失せると同時に、まったく別のものに急に興味が湧いてくるはずです。
これは絶望的な虚無感を回避するための防衛手段と考えられます。

自己愛障害による心理療法の教義化・宗教化の病理

こうして自己愛的な人々により過剰に理想化された心理療法では、本来仮説に過ぎないはずの理論がこの世で唯一絶対的に正しい理論として教義化されていきます。

心理療法の学びの場でしばしば見られる、人々が興奮気味に「○○(心理療法名)って素晴らしい!」「もっと○○を社会に広めて世界に平和にしたい!」と語り異常なほどの高揚感や一体感に包まれる雰囲気はこの状態をよく表していると思われます。
一種の宗教のような雰囲気がそこにはあります。

また心理療法家が自分の正しいと思う心理療法以外の心理療法に対して過剰な対抗心や敵対心に駆られるときにも、このような自己愛障害の心理が働いていると考えられます。
これは自分が信じる心理療法が唯一絶対的に正しいと確信している心理療法家にとって、それ以外の心理療法はすべて「まったく価値がないもの」として蔑まれるだけでなく、その「いい加減な理論」に対して同じ心理療法家として激しい怒りを感じるためと思われます。

自己愛障害の心理療法家・心理療法グループの病的な野望

さらに心理療法家個人の自己愛障害や特定の心理療法を崇拝する(もはや宗教化しています)グループ全体の自己愛を助長する雰囲気が高まりますと、心理療法家個人あるいはグループ全体としての病的な野望や被害妄想が生じてきます。

唯一絶対的に正しい(神が記した聖典のような)心理療法をこの世に広めることで初めて病んだ世界は救われると信じられ(救世主願望)、その理想的な世界を実現させるために自らの信じる心理療法を他の人々に教え広める(布教する)ことが今や心理療法家の(個人的ではなく)社会的な使命となります。

具体的にはその方が心理療法家であれば心理カウンセリングにおいて、クライエントに対して自身の信じる心理療法を適用することで「効果があったように振舞うように」暗黙のプレッシャーをかける(この場合、都合の悪いクライエントの反応はすべて否認されるか都合よく解釈されます)、医療関係者であれば医療現場やスタッフ研修にその心理療法を取り入れる、教師であれば授業でその心理療法のワークショップを行う、企業の人事部の方であれば社員教育やメンタルヘルス対策にその心理療法の理論を大々的に取り入れる…などの衝動に猛烈に駆られることになります。

しかもこれらの行為はすべて「相手の方の幸せ」を願ってのことです。世のため人のためになるからこそ、どんな(自己)犠牲を払ってでも実行に移さねばならないと強い気持ちを抱きます。いわば殉教者の気分です。

そしてこれらの使命を邪魔する、あるいは非協力的な人々の態度は、自分たちが正しい行いをすることへの羨望からの妬みや迫害などと解釈され、あるいは「この人たちはきっと悪い社会に騙されているに違いない」と思い「何としてでも地獄のような社会から救い出してあげねば」と救世主願望にさらに拍車がかかります。

自己愛障害の心理療法家・心理療法グループの被害妄想

また自己愛障害の心理に支配された心理療法家や心理療法グループの人々は、その理想自己の高さから多くの場合、自ら崇拝する心理療法の社会的評価に関して非常に大きなギャップを感じ、そのことで被害妄想的な心理に駆られがちになります。

たとえば自分たちが心底素晴らしいと信じる心理療法が俗世間ではほとんど評価されない不当な扱いに対して激しい怒り、ときには深刻な抑うつや失望感・絶望感が生じます*。

*自己愛性人格のうち誇大型・無関心型の自己愛性人格(一般に自己愛性人格障害として知られるような性格)の人は激しい怒りを、抑うつ型の自己愛性人格(回避性人格障害に近い性格)の人は抑うつ・失望感・絶望感を感じやすいと考えられます。

重度の自己愛障害による心理療法の狂信的宗教化の病理

このような自己愛障害による心理療法の理想化・教義化がさらに進展(重症化)していきますと、その様はどんどん狂信的な宗教に近づいていきます。
心理療法家は他の職業の人に比べて自己愛が強い、したがって自己愛に関して障害を持っている可能性が高いと考えられるため、自身の自己愛に関して常に自覚する必要があると考えられます。

私自身も(主に精神分析的アプローチによる)自己分析を行うまでは(幸い行動化にまでは至りませんでしたが)内心ではここに書かれているような自己愛障害の心理に強く支配されていましたし、これ以外の自己愛障害的な心理は今でも残っています。
関連ブログ:自己愛性人格障害・自己愛障害の自己分析・治療

※ここに書かれている心理療法家や心理療法グループは極端な例かもしれません。しかし「理論の教義化」という問題に限っては、ほとんどすべての心理療法グループでみられるはずです。
またこのブログは私自身の複数の心理療法のワークショップに参加した体験や心理療法家の知人から見聞きした話から構成されています。したがいまして暗に特定の心理療法や心理療法家の方を非難する意図はありません。

自己愛性人格障害・自己愛障害の治療・心理学的分析本

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