セクハラやパワハラにおける権力構造と理想化の心理の影響

今回はハラスメントに関する私の見解を記事にします。
具体的には写真業界で起きた2つのセクハラを例に、プロセスワークという心理学のランクという概念を援用しながら、数ページに分けてセクハラやパワハラの要因の中でも人間関係に起因するものに絞って考察していきます。

これは特に著名人のセクハラやパワハラが発覚した際に明らかにされるのが、その加害者の悪しき側面が中心であることが多く、これではセクハラやパワハラなどのハラスメントを著しく問題を抱えた人が引き起こすものとの、対岸の火事のような印象を与えかねないためです。
また仮に業界の権力構造などが指摘されることがあっても、その心理的な要因や対応策まで踏み込んだ報道を目にすることがあまりないことも関係しています。

2つのセクハラの事例

まず最初にハラスメントの具体例として、写真業界における2つの著名人のセクハラの事例を提示します。

その知識、本当に正しいですか?

「神様のような広河さんに私は服従した」。フォトジャーナリストからの性的被害、背景に支配関係

1つ目の事例は、一般の方にもよく知られた写真家のアラーキーこと荒木経惟氏から長年セクハラを受けていた女性の告白記事です。
そして2つ目の事例は、人権派で知られるフォトジャーナリストの広河隆一氏のセクハラについての記事です。

被害者の感じる断りづらい雰囲気を必然的に生み出す権力構造

2つのセクハラの事例には幾つかの共通点が見られますが、その1つが被害者の女性がいずれもヌード撮影や性行為の誘いに対して断りづらい雰囲気(空気)を感じ、その雰囲気の背後に支配-従属関係と言えるような権力構造が存在していることです。

こうした人間関係における力の不均衡が生じる要因は、今回の2つの事例では加害者が業界や社会に対して絶大な影響力を有する人物であるためですが、実際はこれ以外にも様々な事柄が人間関係における力の不均衡を生み出します。

強い支配-従属関係ではなくても、被害者の感じる断りづらい雰囲気は生み出される

また上述の二人ほどの権威を有しない人との関係においても、同様のことは生じ得ます。
実は私の知り合いにも、断り切れずにヌードやセミヌード撮影に応じてしまい、後から後悔の念に駆られた人が何人もいますが、その多くは写真を教える側と教わる側の関係でした。

冒頭の事例の被害者の方には、断ると業界で生きていけないという危機感が存在していました。
しかし知人が被害に遭ったケースの講師は、いずれも写真業界において冒頭の二人ほど権威を有してはいるとは思えず、したがってそれらの人に睨まれたことが原因で、写真家としてのキャリアを奪われるようなことはまず考えられません。

このことからセクハラで生じる被害者の方が感じる断りづらい雰囲気は、加害者の意向に沿わないと著しい不利益を被るほどの強い支配-従属関係が存在していなくても感じられるものであることが分かります。

だとすると予想以上にセクハラとは身近な問題なのかもしれません。
なぜなら上司や先輩と部下との関係、仕事の取引先、教師と生徒、年齢や経験年数、知識などに差のある関係、接客業におけるお客様、この他何らかの支援を受ける人とその提供者との関係などなど、およそあらゆる関係が程度の差こそあれ力の不均衡を生み出す可能性があるためです。

多くのハラスメントは権力構造への無自覚から生じている

ですから2つの事例からは、セクハラというものが絶大な権力を有する人がその権力を笠に着て相手を無理やり従わせるようにして生じる、つまり意図的な行為であるかのような印象を受けますが、実際はどのような関係においても程度の差こそあれ力の不均衡が生じており、その非対等的な関係がセクハラやパワハラなどのハラスメントを生じさせる可能性があります。

しかしこうした力の不均衡は、得てしてある程度極端な形になるまで、なかなか自覚されることがありません。
したがってセクハラやパワハラなどのハラスメントは、微妙なレベルでも生じている力の不均衡に当事者双方(特に有利な立場にある側)が無自覚であるために徐々に進行していくものであるとの認識が必要ではないかと考えられます。

次のページでは、この力の不均衡を問題視し対等な関係を築く試みを、批判的に検討する予定です。

写真業界におけるハラスメント 関連ページ:
アート写真における写真家と作品モデルとの権力構造についての考察
(今後こちらのページも、記事を増やして行く予定です)

参考文献

アーノルド・ミンデル著『人間関係にあらわれる未知なるもの―身体・夢・地球をつなぐ心理療法』、日本教文社、2008年

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