遠慮の背後にある自己愛性人格障害的な甘えの心理-アサーション 目次:
自己分析のきっかけとなった本
・アサーション・トレーニング
アサーションによる自己分析
・遠慮して注意できない(非主張的自己表現)
・遠慮の背後にある自己愛性人格障害的な甘えの心理
非アサーティブな自己表現を自覚するだけでアサーティブな自己表現に変化☆
自己分析のきっかけとなった本:
アサーション・トレーニング
日常の状況や場面を意識し、そのときの自分の言動に気づく(意識する)だけでもアサーションに役立ち、徐々にアサーティブな言動が取れるように変化していく。
(アサーション・トレーニング-さわやかな自己表現のために/平木典子著 P.99 一部改変)
自己分析:
遠慮して注意できない(非主張的自己表現)
このアサーティブ・トレーニングの本の文章を目にしたとき、無意識に日頃お店で他のお客さんに席を奪われたり列に割り込まれたりしても、遠慮して注意できないことが多いことを思い出しました。
もちろんこれは一切腹が立たないからではありません。内心不快感や怒りを感じつつも、それを言葉にすることにためらいを感じて遠慮してしまうのです(T_T)
なお、この私の遠慮がちな態度はアサーション理論では非主張的自己表現と呼ばれています。
遠慮の背後にある自己愛性人格障害的な甘えの心理
しかしそのような非主張的で遠慮がちなときの私の心理状態を自己分析的に観察してみますと、私の心には遠慮することによって単に怒りが溜め込まれるだけでなく、別の心理も生じていることが洞察されました。
それは甘えの心理です。
遠慮して注意できないときの私は、自ら注意はせずに(無意識に)当惑した素振りを見せることで、店員さんが代わりに注意してくれることを期待していました。
その証拠に、店員さんがそのことに気づかずに注意してもらえなかったときなどは内心、他のお客の迷惑になるような行為を注意もせず放っておく店員に対して、あたかも当然の義務を怠ったっているかのような怒りを感じることがあります。
ここでは、いちいち言葉に出して頼まなくても相手が自分の気持ちを自動的に察して望みを叶えてくれることを無条件に期待する部分が甘えの心理と考えられます。
またこのような甘えの心理は、特別意識(特権意識)として自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害)の診断基準の一つに挙げられていることから極めて自己愛的(自己中心的)な心理ともいえます。
そして、そのような自己愛的(自己中心的)な甘えの心理が働くときは「自分に代わって注意してもらえる」当然の権利を踏みにじられたとの思いから、自分は社会から虐げられている・迫害されているとの社会全体への被害妄想的な怒りや惨めさを感じつつ、立ったままコーヒーを飲む羽目になり、そのことで(不当な扱いを受けていることへの)さらなる怒りや惨めさを味わうのです^^;
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非アサーティブな自己表現を自覚するだけでアサーティブな自己表現に変化☆
P.S.その後新宿のベルクで上述の自己分析と同じような状況(注文の際に席を立ったときに別の人が座ってしまった)に遭遇した際に、特にアサーションのことを意識したわけではないのですが、それでも自然と(無意識に)「まだ注文があるんです」との断りの言葉が口をついて出て自分でもビックリしました。
どうやら冒頭の平木典子さんのアサーショントレーニングの本の指摘(自分のアサーティブでない行為を自覚するだけでも、徐々にアサーティブな言動が取れるように変化していく)は本当のようです☆
何しろ私は自分がアサーティブでない(具体的には非主張的)態度であることを自覚しただけで、特にアサーショントレーニングを行ったわけではないのですから。
アサーション・トレーニング-さわやかな自己表現のために/平木典子著