「いのちの電話は東京以外の方が繋がりやすい」からの続き
病院で「うつ病」治療を決意:
「いのちの電話」の相談員の方の勧めで翌日、精神科心療内科のある病院に行くことに決めました。さっそくネットで近所の病院を調べてみます…うつ病を治療してくれる病院は無数にありました。ただ私の希望に適った病院はなかなか見つかりません…
「理想の病院」探し:
まず、いつまた自殺したくなるのでは?と不安で仕方がなかったので、予約なしで治療してくれる病院を探しました。
いくつか病院が見つかったのですが、今度は別の要求が持ち上がってきました…多くの病院のHPには院長先生の顔写真が載せられていたのですが、どれも「どこか偉そうで人を見下したように見える*」方ばかり…やっと優しそうな方のいる理想の病院を見つけることが出来ました!
しかしその病院は「家から1時間近くかかる」場所にありました…果たして通えるだろうか…葛藤に苛まれます…
妥協して近所の病院に、とも思いましたが一度「理想の病院」を目にしてしまうと、他の病院では不十分な治療しか受けられないのでは?との疑念を拭い去ることができません。
*ここには、おそらく過去に経験した「父から幾度となく受けた暴力」や「交通事故に遭った際の看護士の冷たい態度」への恐怖が投影されている気がします。
自己愛性人格障害の完璧主義と「うつ病」:
ここで私は、自分が「とても馬鹿げた思考」に取り憑かれていることに気づきました。
そもそも病院で治療を受けることを決めた本来の動機は、「突如として襲ってくる漠然とした不安から自殺したくなるので、それを防ぐために病院で薬をもらう」ことでした。それが、どうせならカウンセリングもしてくれて…さらに優しそうな先生がいる病院で…とドンドン脱線して行き、ついには脱線の果てに行き着いた「理想の病院」探しが、いつしか「病院で薬をもらう」ことに取って代わってしまったのです。
ここでの思考の脱線には自己愛性人格障害の完璧主義が影響していると思われます。
自己愛性人格障害の人々は非現実的な理想にこだわり、その理想を達成するために自分は「完璧であらねばならない」との信念を持つ傾向があります。これは自己愛性人格障害の人々が何よりも無力感(無能力)を恐れ、それを過剰に補うために「非現実的な理想」を作り出し、それに必死にしがみつこうとするために起こります。
また、非現実的な理想を「達成できない」と無力感から容易に抑うつ状態に陥るため、このことが自己愛性人格障害の方が「うつ病症状」を発症する原因の一つと考えられます。
このような完璧主義に裏づけされた思考様式が、今回の「うつ病治療の病院探し」の背後に働いていたと思われます。
危なく馬鹿げた選択をしてしまうところでした(@_@;)
うつ病治療「良い病院」探し方読本
※「人格障害の定義」「自己愛性人格障害の定義」についてもご一読ください。
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