過去のストーカー行為…
「パーソナリティ障害の診断と治療」の防衛機制の項を読んでいる時、それまでずっと謎だった過去のある行為についての原因が明かとなりました…
20代の頃の話ですが、私は今から思えば*ストーカー行為だった思えるような行為を二人の方に対し行ってしまいました。
最初はお互いに親しい間柄だったのですが、次第に相手の方が距離を置くようになりました。しかし私は「相手の方が迷惑に感じている」ことをまったく理解できなかったため、これまで通り接し続けました。
やがて「もう止めて欲しい」旨の手紙が届きましたが、それでも私は手紙の内容を都合よく解釈したため事態は何も変わりませんでした…
最終的に物理的距離ができるように状況が変化してやっと、ストーカー行為は終わりを告げました。今ではお互いに連絡を取ることもありません。
それから数カ月して、あの時の行為がストーカー行為だったことに気づきましたが、なぜ自分がそのような行為に及んでしまったのかについては理解できないままでした…
*当時の私には「自分がストーカー行為を働いている」という意識が全くありませんでした。
ストーカー心理と防衛機制:
さらに10年が経ち、今こうして防衛機制について学んで初めて、自分のストーカー行為の背後にある心理(ストーカー心理)について理解することができました。
否認と自我のスプリッティング
当時の私は、パニック障害・社会不安障害(社会恐怖)・うつ病から徐々に立ち直り社会復帰した直後の状態にありました。苦しみのどん底から這い上がったばかりに加えて、もともと自己愛性人格の傾向が強かった私には、優しく接してくれる女性の方が(無条件に脆弱な自尊心を満たしてくれる)慈悲深いマリア様のように見えたのかもしれません。
こうしてストーカー被害に遭われた方は、私にとって常に良い人と映り、良い人の属性に添わないことは「すべて意識の外に」締め出されました*。そのため被害者の方がいくら私に迷惑であることを伝えても、それが迷惑として私に伝わることはなかったのだと思われます。
未だに信じられないのですが、この時の私には物事をありのままに受け止めることが出来ませんでした…
*出来事自体がまるで最初から起きていなかったかのように「丸ごと消し去られる」心理を、防衛機制の一種で否認といいます。また世界を「良いもの」と「悪いもの」とに二分して理解する心理は、同じく防衛機制の用語で自我のスプリッティングと呼ばれます。
いずれも原始的な防衛機制とされ、成人がこれらを頻繁に用いるのは比較的重症の精神疾患に限られます。
境界性水準の自己愛性人格障害…
ところで私のストーカー行為を病理水準の観点から眺めますと、私は自分の行為が病的であることを全く意識していなかったわけですから、これは神経症水準より重症であることを示し、かつ防衛機制によって人格の崩壊は免れているので境界性(ボーダーライン)水準*の精神疾患となり、また多分に性格の影響も見られることから境界性水準の自己愛性人格障害と呼べなくもありません。
一般的に境界性人格障害をはじめとした人格障害には周囲にとり「非常に迷惑な病気」のイメージがありますが、自分自身のストーカー行為を思えば、それも致し方ない気がします。何しろ当人に病気の自覚がまったくないわけですから、こんなに恐ろしいことはありません(@_@;)
しかし今まで自分が神経症水準の人格障害であることは自覚していたのですが、過去とはいえ境界性水準の人格障害の時期があったと知り、正直ショックです…
*神経症水準と統合失調症水準との境目(境界)であることから境界性と呼ばれます。
関連ブログ:人格障害の定義
あくまで「ストーカー行為・心理」の分析例:
このブログはあくまで「私という一個人の」ストーカー行為・心理の分析の試みであり、これをもって例えば「ストーカー=自己愛性人格障害」「ストーカー心理=否認・自我のスプリッティング」であることを示すものではありません。
また自らのストーカー行為を正当化・擁護するものでもありません。
「ストーカー心理」解説本
「ストーカー対策」解説本