いい加減な心理カウンセリング…
「自己心理学入門―コフート理論の実践」を読んでいて次の一文に目が止まりました。
「心理療法の実践においては、患者の積極的な関与と協力は治療の成功に不可欠なものなので、(治療)プロセスを妨げるのではなく促進するような環境を創出することは、治療者の側の治療的責任なのである。」(P.62)
突然、後悔とともに最近の出来事が思い出されました…
仲間内での心理カウンセリングの練習の際、カウンセラー役をした時のことです。クライエント(患者)役の方は口数が少なく治療プロセスは一向に進展しません…
それにも関わらず私は「今日は相談することがなさそうだから気楽に行こう」と考え、あまり親身にはカウンセリングを行いませんでした。
そして、カウンセリング終了後のシェアリングで私は「今日は○○さんの方であまり話すこともなかったようなので、私もリラックスしてカウンセリングしていたのですよ。」と幾分自らの選択を誇らしげに説明しました。
合理化:
しかしこれは今から思えば防衛機制の一つの合理化であった気がします。
先の引用文にあるように治療プロセスを促進する責任は治療者の側にあります。しかし私は治療の行き詰まりをクライエントのせいにして義務を怠り、さらに批判を避けるために先手を打って、一見もっともらしい理屈で自らの行為を正当化したのです。
合理化とは?
防衛機制の合理化の意味は、一般的に使われている意味とほぼ同じで「都合よく理由付けする」ことです。
合理化は対人関係においては自己弁護や(知的な意味での)権力の誇示などの目的で、内的には自尊心の喪失を回避するために使われます。
合理化を好んで用いる思考タイプ:
また、合理化は隔離・知性化・道徳化・分画化などと共に知的な防衛機制の部類に入ります。そのためか、ユングの心理学的タイプで思考タイプに属するような人々は、合理化をはじめとした知的な防衛機制を好んで用いるようです。
私自身も合理化・知性化・道徳化などを頻繁に使っている気がします。もっとも、いつも後から気づいて後悔するのですが(T_T)
「防衛機制」解説本