他人の欲求に従った人生…
「自己愛的性格を発展させる恐れがある人々は、言語化されない情緒的メッセージに対して生まれつき他人よりも敏感であるようである。特に自己愛は、他人の口には出されない情動、態度、期待に対して必要以上に合わせているように見える幼児と関連づけられてきた。
…たとえば天性の直感力を持ち、養育者自身の自尊心を維持するために無意識的に利用されてしまう子供が多くの家庭にいて、こうした子供は自分がいったい誰の人生を生きることになっているのか混乱した状態で成長する。」(パーソナリティ障害の診断と治療 P.201)
これは抑うつ傾向が優勢なタイプの自己愛性人格障害の人々の「自分よりも他人の欲求に従って生きているような人生」を表したものです。
自己愛性人格障害の人々は、自分の能力や価値に対して基本的に不信感を抱いていますが、抑うつ型自己愛性人格障害の人々の場合、それを他人の欲求を自分の欲求と信じ込むことによって補う傾向があります。
母の期待…
私自身にも母の期待に過度に応えようとして生きてきた部分があります…
子供の頃、母がふと「お兄ちゃん、大きくなったら建築士になれば良いのに。」と洩らしたことがありました…そしてこの瞬間、私の進路は決定されました…その一言を私は母の期待と受け止め、特に興味もなかった建築士の道へ進もうと決めたのです。
こうして建築関係の専門学校へ進学したのですが、もともと自分で望んだ道ではなかったためか長続きせず、すぐに転職してしまいました…
母への怒り:
ある時、母に上述の子供の頃の出来事ついて訊いてみたところ、何と母は覚えていません…ここにきて、あの一言が「母が覚えていないほど些細なもの」だったことが明らかとなりました…
「そんなことのために自分は人生を無駄に過ごしてきたのか!」
母に対して激しい怒りが湧きました。
しかしその怒りを母にぶつけても仕方ありません。何しろ、私が「勝手に」期待として受け取ったに過ぎないのですから…
自己愛性人格の受容:
しかし最近、この一件について転機が訪れました。
父の入院を機に一日だけ帰省した際、母に冒頭の自己愛性人格の特徴(期待に対して必要以上に合わせる傾向)が生まれつきのものだったのかどうか確かめたところ、私は「生まれた時から周囲の気配を気にする子供で、大丈夫だと判るまでは決して普通の子供のように騒いだりはしなかった」そうです。
こうして自分の自己愛性人格障害の特徴を徐々に知るにつれて、それまで燻っていた母への怒りは消えて行きました☆
※「人格障害の定義」「自己愛性人格障害の定義」についてもご一読ください。