「他人のための人生…@自己愛性人格障害」で触れた自己愛性人格の「他人(特に養育者)の期待に対して必要以上に合わせる傾向、および「母の期待…@自己愛性人格障害」で触れた「生まれた時から周囲の気配を気にし、大丈夫だと判るまでは決して騒いだりしない子供だった」ことは、私にもう一つの重要な洞察をもたらしました。
母の理不尽な干渉への怒り…
私は二人兄弟の長男ですが、そのことで今まで随分と「酷い扱い」を受けたと感じて来ました。(あくまで主観な記憶ですが)何事においても「あんたはお兄ちゃんなんだから我慢しなさい」と我慢を強いられ、対して何でも自由が許されている弟が羨ましくてたまりませんでした。
また「先に生まれたというだけで何で我慢しなければならないのか」と、理不尽な理由で私にあらゆることで干渉し、また無理矢理言うことを聞かせようとする母に対する怒りは相当なもので、何度殺してやろうと思ったことか知れません(幸い、具体的な計画や実行には至りませんでした)。
自己愛性人格の影響:
しかし冒頭に述べた、自分の中に生まれつき備わっていた自己愛性人格の特徴(他人の期待に必要以上に合わせようとする傾向)を知り、受け止め方に変化が生じました。それは次のような考えが頭に浮かんだからです。
もし私が母の立場で「こんなような子に育って欲しい」という理想の子供像を持っており、目の前にまったく性格の違う二人の子供(ひとりは期待する以上に望みを聞いてくれそうな子供、もうひとりは何を言っても反抗しそうな子供)がいたとしたら、はたしてどちらの子供にこの欲求を向けるだろうか?
答えは迷うことなく、前者のような聞き分けの良い子供だ。
こう考えた時、母があのような行動をとったのも判る気がしました。
理屈で納得する性格:
もちろん、社会的役割として長男や長女に我慢が期待されるのは事実で、それは子供にとってまったく理不尽な話です。
しかし私にとっては、自分が受けた仕打ちが理不尽な理由ばかりではなく「合理的な理由もあった」ということがとても救いとなりました。これは私が思考タイプの人間で「理屈で納得しないと気が済まない」性格だからかも知れません。
※「人格障害の定義」「自己愛性人格障害の定義」についてもご一読ください。