対人恐怖症に対する認識の違い:
ここ最近、対人恐怖症的な症状のブログをいくつか書くうちに、私自身の対人恐怖症に対する認識と世間一般の対人恐怖症に対する認識との間に大きな隔たりがあることに気づかされました。
対人恐怖症は日本特有の精神障害?
まず世間一般の対人恐怖症に対する認識についてですが、たとえばWikipediaの対人恐怖症の項目には、「対人恐怖症は「自律的な恐怖(自分が他人に対して迷惑をかけたり不快感を与えたりすることへの恐怖)を主訴とし、恥の文化を有する日本特有の精神障害」という旨の説明があります。
この考えによれば対人恐怖症とは、日本特有の文化依存症候群的な精神障害ということになります。
ところが私が読んだ自己心理学の本には例外なく対人関係の問題に悩むクライエントの症例が掲載されており、その多くは欧米の症例でした。
またその対人関係の問題には、他者からの攻撃や非難を恐れる他律的な恐怖ばかりでなく、(日本特有のはずの)自律的な恐怖が含まれていました。
対人恐怖症の日本特有な点は自律的な恐怖の自覚:
ただし欧米の症例に記載されている自律的な恐怖は、最初から主訴として自覚されていたものではなく精神分析的な治療の中で意識化されてきたもの、つまり無意識的な恐怖でした。
このことから日本に特有といえるのは、自律的な恐怖が最初から自覚されている点であり、対人恐怖症を特徴づける自律的な恐怖自体は日本特有の恐怖心理ではないように思えます。
したがって対人恐怖症は日本固有の精神障害とはいえず、日本特有な点は初回面接から対人恐怖症を特徴づける自律的な恐怖が自覚されており主訴として述べられることから、対人恐怖症の診断がつけやすい点にあると言えるのではないでしょうか。
また対人恐怖症を日本特有の文化依存症候群的な精神障害と位置づける立場には、自律的な恐怖を対人恐怖症の本質的な心理であると仮定し、その自律的な恐怖は恥の文化を持つ日本ならではのものとの考えから生じているように思えます。
この点も対人恐怖症の本質的な心理を、自己愛障害(自他の心理的境界の脆弱性による障害)から生じる極度の万能感や自意識過剰とする私の立場と大きく異なっています。
関連ブログ:自己愛障害の心理(自意識過剰)を原因とした対人恐怖症の症状・原因・治療
対人恐怖症を発症しやすい日本社会:
ただ日本の社会には昔から「阿吽の呼吸」といわれるような相手の気持ちを察する態度を重んじる文化がありますし、それは今でもKY(空気が読めない)という言葉に引き継がれています。
本来、他人の心を(推測することはできても)直接知ることは不可能なはずですが、「阿吽の呼吸」「KY」といった言葉には、暗にそれが可能であるかのようなニュアンスがあり、したがって日本においては自己愛障害的な心理を持つことがむしろ推奨されているように思えます。
そのため日本特有とは言えないまでも、日本社会は本質的に自己愛障害による対人恐怖症を発症しやすい社会であると考えられます。
対人恐怖症 治療・克服本リスト