今晩19時25分から放送されるNHKEテレ「オトナヘノベル」
今回の内容は数日前に投稿した「主体性の有無は人生の自己評価に非常に大きな影響をもたらす」とも関連する内容ですが、母親を喜ばせるために母親の望みどおりの人生を歩もうとする子どもの物語です。
母親の望みどおりの人生を歩む子どものタイプと主体性との関係
このような方は二通りに大別できます。
母親の望み通りの生き方を心地良く感じるタイプ
一つめは母親の要望を心地良く感じるため、何ら違和感を感じることなく母親の望み通りの人生を歩み続けるタイプです。
また主体性の観点からは、このタイプに当てはまる方は主体性に乏しいと言えます。
なぜなら主体性が乏しい方は何事も他人に決めてもらった方が楽と感じ、逆に自由にして良いと言われると、どうして良いのか分からず途方に暮れてしまうためです。
※余談ですが、主体性に乏しい方ほど思考パターンや振る舞いが学習理論で想定されているような「刺激に対する反応」に近いものとなり、そのため飴と鞭を使い分けるようなコントロールや、洗脳その他の悪意ある他人の行為の影響を受けやすくなります。
母親の望み通りの生き方に抵抗を感じながらも従ってしまうタイプ
もう一つは母親の願いや過干渉(こうした母親は例外なく過干渉です)を鬱陶しく感じつつも、同時に母親を喜ばせたいという願望も強く持っているため、その葛藤に苦しみながらも、そのレールから踏み出せないタイプです。
このタイプの方も同じく主体性の観点からは前者の方に比べて主体性があると言えます。
なぜなら欲求を感じる主体が存在するからこそ、その欲求と母親の望みとが時に衝突し、さらに同じく罪悪感を感じる主体があるからこそ、自分の欲求を叶えたい気持ちと、母親に反抗することへの罪悪感との間に苦しい葛藤が生じるためです。
主体的に自分の人生を生きるように変化できるのは葛藤に苦しむ後者のタイプ
そしてこれらタイプのうち、この状態から脱する可能があるのは後者のタイプの方です。
苦しくても、そこから抜け出したいという変化のニーズが存在するためです。
それに対して前者のタイプの方は居心地が良いのですから、変化を望む動機そのものが存在しません。
ですがこうした方が一生母親の希望通りに生き続けるとは限りません。このような方に変化のニーズが生まれるきっかけの典型は恥をかく体験です。
例えば私が母親の方針に疑問を抱き出したのは、高校時代の親友に、いつも母親が買ってきた服を着ていることを「信じられない!」と珍しがられたことがきっかけでした。
その恥の体験が元で、それまで微かに感じるに過ぎなかった嫌々従って来ていたことへ怒りが爆発し、遅ればせながらの反抗期へと繋がって行きました。
このように恥をはじめとした不快な体験は、時に変化をもたらす貴重な体験とも成り得ます。
欲求不満こそが人を変化へと促します。
番組に登場する子どもは果たしてどちらのタイプの方でしょうか。
NHKEテレ「オトナヘノベル」家庭教師コウの事件簿Ⅱ~親の敷いたレール
母親の望みどおりの人生を歩む子ども 参考文献
最後に参考文献として、信田さよ子著『母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き』を挙げておきます。
主に葛藤を感じつつも母親の呪縛から逃れられないタイプの子どもの事例が多数収録されています。