現代はコミュニケーションに過剰な価値が置かれ、孤独であることが即問題視される

前回の投稿「現代人は一人で居られる能力が急速に衰え、対人依存的になってきている」の続編です。

前回はネット上のコミュニケーションを例に、現代人が20年前と比べて遥かに対人依存的になってきていることを書きました。
今回は同じような傾向が、リアルの場でのコミュニケーションや、マスメディアの論調などでも進行していることについて考察します。

昔の精神世界ブームでは自己成長目的で自分の心と真剣に向き合う人が多かった

まず前回同様、昔話から始めます。
今から20~30年ほど前に精神世界がブームになったことがありました。今でもそれなりに注目されていると思いますが、その内容や関わり方は大きく異なります。

当時の精神世界ブームでは、いわゆるオカルトに加えてニューエイジ思想やヨガなどの精神修行が多くの人々を惹く付けました。
私の印象では、そうしたことに魅かれる人の多くは単に不思議な世界への憧れだけでなく「自己実現したい」「社会をより良くしたい」などの強い想いをお持ちだったように思えます。
ですからそうしたコミュニティには生真面目な人が集い、その場の雰囲気も常に独特の緊張感が漂っていました。

中には今日のように生きづらさを感じる人々の居場所としての機能を担っているようなコミュニティも存在しましたが、それでも少なくても意識の上では成長を求めて集まった人々でした。

また当時はそうしたコミュニティに集うのではなく、解説本などを頼りに一人孤独に黙々と修行を積んだり、ソローの『森の生活』などに触発されて、人里離れた場所での隠遁生活を望む人も少なくありませんでした。
前者には内観法と呼ばれる、狭くて薄暗い部屋に屏風を立て、生きるために必要最低限のことを済ますとき以外は、その屏風にひたすら一人孤独に何日も向き合い続けるという非常に厳しいものまでありました。

以上のように当時は精神的な悩みに対して、苦しくても真っ向から向き合うことを望む人が結構いらっしゃいました。
自分探しもその一環です。

プチ修行で心のリセットを望む現代人

対して現在では仮に修行的なことを行うにしても、プチ修行と呼ばれる1日だけ座禅や断食、滝に打たれるなどの苦行を行い、それで心をきれいさっぱりリセットして、翌日からまたいつもの生活に戻るようなものが人気を集めています。
しかもその多くは和気あいあいの雰囲気に満ちていて、一昔前の苦行とは異なり「集まったみんなで苦しみを乗り越えることの一体感や高揚感」が感じられるようなものになっています。
つまりその実態は苦しくも楽しいイベントです。

ヨガにしても当初は精神修行の側面が強かったものが、現在ではみんなで気持ちよく汗を流す健康的なエクササイズの一つとみなされています。

このように元々は個々人で取り組んだり、自己成長や修行的な目的で行われて来たものの多くがイベント化し、集団で楽しむ娯楽へと変貌して来ています。

また読書会が人気を博していますように、これまでは基本的に一人で楽しまれていたものの多くでも、体験を共有するイベントへの需要が急速に高まって来ています。

自己対象欲求は人とのコミュニケーションによって満たされる

これらの変化には前回の記事で述べた自己対象欲求の充足が関係していると思われます。
詳しくは前回を記事をご参照いただければと思いますが、コフートが人間の心理的な本能のようなものとして想定した3つの自己対象欲求は、いずれも人とのコミュニケーションによって満たされるものだからです。
現代人はこの自己対象欲求が非常に強いため、それを満たすために人との繋がりを渇望しているのではないかと考えられます。
そのため本来心と向き合う場であったものが、自己対象欲求を満たす場へと変貌してしまったのだと思われます。

人とのコミュニケーションの価値のみを伝え続ける現代のマスメディア

またマスメディアで紹介される余暇の過ごし方その他の情報も、個人のニーズに合わせて大きく変化しました。
20~30年前とは異なり、現在マスメディアから伝えされるこれらの情報には「誰かと一緒に楽しむ」ものの比重がどんどん高くなって来ています。

それと同時に孤独であることが即問題され、その人たちを救うためにも、あらゆる面でコミュニケーションを活発にする必要性が叫ばれるようになってきました。

以上のように、前回の記事の個々人の対人依存傾向に呼応するかのように、社会全体がコミュニケーションに過剰な価値を置き、その反面孤独を即問題する方向へと大きく舵を取って来ていることを考察しました。

また最近「ぼっち」という言葉をよく聞くようになりましたが、この「ひとりぼっち」を意味する言葉の密かな流行は、上述の社会全体のコミュニケーション過多の傾向に生きづらさを感じる人が、ひとりで居ることに価値を見出す試みと思われますが、個人的にとても健康的な試みと考えています。
「ぼっち」については別の機会に詳述致します。

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