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現代人は一人で居られる能力が急速に衰え、対人依存的になってきている

今回は私が感じている、ここ20年ほどの人々の変化について書かせていただきます。
テーマは「一人で居られる能力」です。
なおここでの「一人で居られる能力」とは、孤独に耐える能力に加えて、精神分析医のウィニコットが同名の論文で述べている「孤独を楽しむことができる」ような能力のことを指しています。

20年前までのコミュニケーションは「特定の人と」「時間を決めて」行われていた

まずは昔話から始めさせていただきます。
今から20年ほど前の私が20代の頃(Windows95が登場した頃)はSNSはもちろんのことブログのようなものもほとんど普及しておらず、また携帯も今日「ガラ系」と呼ばれているタイプのものが存在してはいましたが、誰もが持っているような状況ではありませんでしたので、通話の多くは固定電話で行われていました。

このように今日と比べて他人とのコミュニケーションが非常に不便な状況でしたから、私も含めて当時暮らしていた人のコミュニケーションは、何か用事がある時以外では、親しい間柄などの特定の人と、それも限られた時間にだけ行われていました。

今日のコミュニケーションは常に誰かとの繋がりを求めている

対して今日では、SNSやスマホの普及などもあって、人を選びさえしなければ、いつでも誰かとコミュニケーションを図ることが可能となり、非常に多くの人がそれを求めるようになって来ています。

今のコミュニケーションの頻度は、20年前なら確実に対人依存とされる

二つの時代を比べれば、今の時代の方が遥かに便利なのは確かです。
例えば待ち合わせなども非常に楽になりましたし、調べ物にしてもPCによるネットサーフィンに頼っていた頃に比べて、遥かに多くの情報を素早く入手できるようになりました。

しかしその便利さと引き換えに急速に失われつつあるものがあります。それが今回のテーマである「一人で居られる能力」です。

もし今は当たり前となっている「常に誰かと繋がっている状態」を20年前に実現しようとすれば、常に誰かと一緒にいるか、それが無理なら片っ端から知人で電話をかけたり、あるいは大量のメールを送ることになると思われますが、もし当時そうした人がいれば、その人は確実に対人依存症のレッテルを貼られてしまいます。
つまりそのような行為は問題行動あるいは病理と見なされました。

ですので当時の人は、他人の迷惑や批判を恐れてそのような行為を慎み、今日に比べれば遥かに多くの時間を一人で過ごしていましたが、それによって寂しさに耐えられなくなったり不安に圧倒されるようなことも、大多数の人はありませんでした。
つまり当時の人は、孤独に耐える能力をそれなりに有していたため、一人で過ごすことがそれほど苦痛でもなく、また社会的に問題視されることがあったとしても、それは「一人で過ごす時間が長い=即問題」というようなものではありませんでした。

現代は一人で居られる能力が急速に衰え、孤独に片時も耐えられない人が増えている

しかし現在は、あらゆる点で状況が一変してしまいました。
ご承知のようにスマホを出がけに忘れて一日それなしで過ごしただけ深刻な不安に襲われたり、あるいはメッセージへの返信がすぐに来ないだけで同様の不安に襲われたり、もしくは怒りが収まらなくなったりする人も珍しくありません。
今や孤独に片時も耐えられない人が増えており、そうした人の不安を鎮めるためにもSNSやスマホは欠かせない社会インフラとなっています。

もっともそうした人でも、人と一緒に過ごすことに疲れ一人になりたいと望むことはありますが、一人になって数分と経たずにスマホに手が伸びてしまいます。
つまりコミュニケーションを一瞬でも断つことができないのです。

現代人は自己対象欲求を満たすために他人と繋がり続けている

ではそこまでして人と繋がり続けることで、私たちは何を得ているのでしょうか。
恐らくそれは自己心理学を創設したハインツ・コフートが自己対象欲求と名づけた欲求の充足であると考えられます。
具体的には次の3つの自己対象欲求の充足です。

鏡映(鏡)自己対象欲求の充足

人から褒めてもらえたり、自分の価値を認めてもらえたり、あるいは気持ちを共感したり理解してもらえることで自分の存在価値を実感できる、鏡映(鏡)自己対象欲求の充足

理想化自己対象欲求の充足

不安になった時にその不安を鎮めてくれたり慰めてくれたり、あるいは憧れの人との関わりによって幸せな気分になったり前向きな気分になったりできる、理想化自己対象欲求の充足

双子(分身)自己対象欲求の充足

自分と似た部分を持つ人と接することで、安心できたり構えずにリラックスできたりでき、またその体験によって「自分は変わり者ではない、社会の一員である」と実感できる、双子(分身)自己対象欲求の充足

補足)自己効力感の充足

自己対象欲求に加えて、SNSで自分の投稿にすぐに反応が得られることで「自分は他者に影響を与えることができる価値ある存在である」と実感できる自己効力感の充足に繋がる

現代人は自己対象欲求を満たすことでしか平常心(心の安定)を保てなくなって来ている

これらの欲求の充足はコフート自身「人間が生涯に渡って求め続けるもの」と言っているようにどれも大切なものですが、相手にも相手なりの都合というものがありますので、いつもいつも満たされるとは限りません。

そのため20年前に暮らしていた人はコミュニケーション手段の制約から、これらの欲求の充足がしばしば妨げられ、そのたびに程度の差こそあれ欲求不満を感じたはずですが、それでも大きな問題とならなかったのは、他のことでストレスを発散したり、あるいはストレス耐性と呼ばれる欲求不満状態に耐え忍ぶ能力がそれなりに高かった、いえそうならざるを得なかったのだと思われます。

それに対して現代人はテクノロジーの発達という恩恵によって、心理的な意味で快適に生きて行くために欠かせない自己対象欲求の充足を簡単に得られるようになりましたが、その欲求が非常に重要なものであるがゆえにそれへの執着(依存)を招き、またその充足が簡単にできてしまうために欲求不満状態に耐える能力が急速に衰え、それがこれまで耐えられたことに耐えられなくなるという形で新たな欲求不満状態をもたらし、その苦痛から逃れるためにさらに自己対象欲求の充足に頼るという悪循環に陥っているのではないかと思われます。

以上、コミュニケーション手段が格段に進歩したことが、皮肉にもそれを活用する私たちのストレス耐性を急速に奪い、その結果わずか20年間で自己対象欲求を満たすことでしか平常心(心の安定)を保てなくなる人が続出するという対人依存社会を生み出してしまった要因を考察しました。

ここまででかなりの大部になってしまいましたので、次回のこのテーマでは視点を個人の心理から「社会」へと移して別の要因を考察する予定です。

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