存在しないことにされる形の女性差別~上野千鶴子著『おんなの思想』の『オリエンタリズム』評からの洞察

サイードの『オリエンタリズム』を紹介した上野千鶴子著『おんなの思想』

今、知人の勧めで上野千鶴子著『〈おんな〉の思想』を読んでいます。
この本の中に、エドワード・W・サイードの『オリエンタリズム』を紹介した章があります。

『オリエンタリズム』は、その概念がアフリカその他の地域の人々への、西洋人の「こうであって欲しい」という願望が反映されたものであることを指摘すると共に、その概念が有する強力な支配力を明らかにした本で、サイードは同書によりポストコロニアル理論確立の立役者とされているようです。

※ポストコロニアル理論についてはwikipediaの説明などをご覧ください。

洋の東西を問わず女性の発言は軽視されて来た

このサイードの『オリエンタリズム』を紹介した上野千鶴子さんの文章の中で特に印象に残ったのは、存在しないことにされるという形の差別の存在です。
少し長くなりますが、いくつか該当箇所を引用します。

「この本(上野さんの『家父長制と資本制』)を読んで、つね日頃女房が訴えていることがようやくわかりましたよ」
妻の言うコトバは解しないが、マルクス用語なら理解できる……彼はこう言ったのだ。
(中略)
女は声を挙げてこなかったわけではない。ただ、その声は聞かれなかっただけである。(P.182)

歴史上には文字どおり、声なき人々がいる。歴史時代というものが、文書史料の誕生以後の時代だとするならば、文字を遺さない人々は、歴史に登場しない。その困難にぶつかったのが、女性史だった。
中世女性史を専門とするフランスの社会学者ミシェル・ペローは、ヨーロッパ中世に女性の手によって書かれた文書が存在しないという困難に遭遇する。
代わって登場するのが、男性の手によって書かれた女の表彰である。しかもこの男性とは、生涯を独身であるべく定められた聖職者たちであった。(P.188)

性犯罪の問題に男性が関心を持ったというだけで、とても重宝された経験

これらの文章を読んでいて、ふと私自身の経験が思い出されました。

今、100年ぶりに性犯罪の法律が改訂されようとしていますが、数ヶ月前にそれを後押しすべく活動を続けているNPO法人のイベントに参加したことがあります。
会場には100人以上の人が詰めかけていましたが、男性は1割程度しかいなく、そのためでしょうか「関心を持ってくれる男性の方はとても貴重」と感謝され、加えて今後のイベントへの継続参加やウェブサイトへのコメントの書き込みなどを促されました。

この時は男性の参加者の少なさから、そう思われるのも当然と考えていました。
ところがその後、前述の上野さんの文章を目にしたときに「性犯罪の問題に男性が関心を持ったというだけで、なぜそこまで重宝されるのか?」との疑問符が湧いて来ました。

このNPO法人は、単に人々が実情に合わない旧態依然の性犯罪の法律に問題意識を持ってもらうことを目指しているのではありません。
議員にロビー活動を行うなどして法律を変えるべく活動している、いわば社会活動家の集団です。

だとすると関心を持ってもらう人が増えるのは、その第一歩としては喜ばしいことだとしても、それだけはミッションを遂行したことにはなりません。
だからこそ今以上に積極的な関わりを求められたのだと考えられます。

ですからこれらの事情をふまえた上での「なぜ男性というだけで」という疑問符だったのです。

未だに社会を支配する男性に効果的に働きかけることができるのも、同じ男性という実情

あくまで推測ですが、上述の上野さんの考察を加味すれば、同じ発言でも女性よりも男性によるものの方が遥かに価値がおかれる、言葉を変えれば男性の発言でなければ(未だに社会に対して大きな支配力を有し続ける)男性の耳には届くことさえない…
こうした事情ゆえの、先の歓迎であったのではないかと考えられます。

具体的な発言を聞く前から、女性とは別の待遇を受けるもっともな理由があるとすれば、こうした事情によるもののように思えるのです。

存在しないことにされる形の女性差別

上野さんの指摘した実情は、存在しないことにされる形の女性差別と言えると思います。
女性の方は総じて女性であるという理由だけで発言を聞き入れてもらう機会やそれを評価してもらう機会を奪われる。
さらにはそうしたことを行う多くの男性にとって、それは慣れ親しんだパターン(慣習)であるためそのバイアスが自覚されることさえなく、そのためオリエンタリズムの概念の働きと同様に、男性の望む女性像(理想像)が女性の客観的な姿と錯覚されることになる。

こうして女性は発言権だけでなく発言の存在そのものを奪われ歴史から抹殺されて来たことを示唆するのが、上述のミシェル・ペローのエピソードではないかと考えられます。

なお今回の記事で用いた「存在しないことにされる」とは、物理的な意味ではなく、あくまでその人(男性)の心の中での話です。
その心理的な意味での存在の抹殺とは、具体的にはどのような状態なのか、次回詳しく述べる予定です。

引用文献

上野千鶴子著『〈おんな〉の思想-私たちは、あなたを忘れない』集英社、2016年

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