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「社会学になにができるか」感想~ジェンダー論の章で「性」に関する価値観が一変するほどの衝撃を受ける

以前に夢日記のブログに「個人の心理を重視するあまり、社会学的な分野の研究を疎かにして来た@夢日記」という記事を書きました。
その記事の最後で触れた「家にある、社会学を理解するための基本となる考え方を解説した本」が今回紹介する『社会学になにができるか』と言う本です。

社会学の主要な分野(理論)の魅力を分かりやすく紹介した本

『社会学になにができるか』は各々の学者が、社会学の主要な分野(理論)の魅力を分かりやすく紹介した本です。
取り上げられているのは自我論・儀礼論・会話分析・ジェンダー論・権力論・歴史社会学・文化装置論・世界社会論の8つです。
中でも一番の印象に残ったのは、明治学院大学教授の加藤秀一さんによるジェンダー論の章でした。

ジェンダー論への私自身の誤解

これまで私はジェンダー論とは、性差(男女の区別)自体は生物学などの科学に基づく客観的な事実だとしても、それを根拠に性役割と呼ばれる、世の中に蔓延する「男らしさ」「女らしさ」という価値観や、さまざまに男女を区別もしくは差別する事柄の中には根拠が乏しいものが多いことを問題視する学問だと思っていました。

しかし本書の「ジェンダー論」の章では、そのことのみならず、そもそも性役割の根拠とされる性差自体が客観的な事実と言えるほど確固としたものではなく、その点までをも含めて批判的な検討が加えられていました。

性差は普遍的な要素ではなく近代以降に確立された恣意的な概念に過ぎない

具体的には古代ギリシャなどを例に、今日では同性愛とみなされるような行為が頻繁に行われていたにもかかわらず、当時の人はそれを同性愛とは認識していなかった。
それどころか男女の区別すら今日ほどハッキリとは認識されておらず、現在の私たちが動かしがたい事実と信じる性差は近代以降に確立された恣意的な概念に過ぎないことが述べられています。
つまり男女の差は人類が誕生した瞬間から意識されていたわけではないということです。

異性愛を正常とみなす根拠も同じく近代以降に確立された恣意的な概念に過ぎない

また古代ギリシャ以外の地域や時代に行われていた様々な形の性行為からは「性行為=生殖」とは1つの目的に過ぎず、時代を遡るほどそれは宗教的あるいは儀式としての意味合いが強くなり、したがって異性愛に基づく性行為を正常あるいは自然な行いとみなし、それ以外の性行為や恋愛のかたちをすべて不自然なものとみなす価値観も、性差と同じく近代以降に確立された恣意的な概念に基づいたものに過ぎないことが述べられています。

異性愛とは本能的なものではなく後天的に学習されたものかもしれない

以上のような内容を読み終えて私が感じたのは、これまで感じてきた異性に対する恋愛感情というものが生まれながらに備わったものではなく、もしかしたらその自覚がないだけで世の中に広く深く浸透する性に関する様々な価値観の影響を受けて備わったもの、つまり後天的に学習されたものである可能性があるのではないかということです。

それほど本書のジェンダー論の章の内容は私には衝撃的でした。

紹介文献

奥村隆編集『社会学になにができるか』八千代出版、1997年

※リンク先のマーケットプレイスで、かなり安く手に入るようです。

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