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私説:性欲は動物的な本能であると共に心理的・社会的な影響を強く受ける

前回投稿した「私説:強姦の衝動的なイメージを支える性欲本能説」の最後に、性欲本能説を否定するものとしてミシェル・フーコーの理論を紹介すると書きました。
この時は『性の歴史』を紹介する予定でしたが、よくよく読み直してみると、訳者の渡辺守章氏のあとがきや、上野千鶴子氏の『おんなの思想』での同書の解説にもあるように、『性の歴史』は性欲そのものではなく、性欲も含めたセクシュアリティと呼ばれる性に関する概念の歴史について述べたものでした。

このため『性の歴史』の内容は、今後予定している夫婦関係やカップルの人間関係の問題などで参照することとし、今回は私自身が感じている性欲本能説への疑問について書きます。

性欲と食欲・睡眠欲とでは衝動の強さが大きく異なる

疑問の1つめは、前回の記事でも少し触れた、性欲を食欲・睡眠欲と並ぶ人間の本能的な欲求とする考え方に対してです。

食欲と睡眠欲は、空腹感や眠気を無理に我慢しようとしても多大な苦痛を感じるため限度があり、特に眠気は少しでも気を緩めるといつの間にか眠ってしまうほどの強い衝動です。
これはいずれの欲求とも、それを満たせないと死んでしまうため、それを避けるために我慢できないほどの強い衝動を伴うのではないかと考えられます。

それに対して性欲の方は、それを満たせない場合、ヒトという種の存続は危機に瀕しても、個体(個人)は死ぬわけではありません。
ですから性欲を感じるときがあったとしても、それは空腹感や眠気ほど強い衝動にはならないのではないかと考えられます。

若い方に性行為に無関心な人が増えている

疑問の2つめは、特に若い方に性行為に無関心な人が増えていることです。
もし性欲が種の保存のために生まれ持った本能として機能するのなら、それを危機に陥れるような事態が生じるはずがありません。
もっともそれを単に異常な事態として片づけることもできるでしょうが、そのような事態は食欲や睡眠欲では生じません。

例えば拒食症は食べることに関心が無くなるのではなく、多くは食欲を無理矢理コントロールしようとする行為であり、また内科的な疾患で食べ物を受け付けなくなるケースも、その障害は食への無関心ではなく、食べると胃に激痛が走るなどの症状によるものです。
また私も罹患したことのある嘔吐恐怖症*も、食べると吐き気がすることへの不安が食事を困難にするのであり、食べることに無関心になるわけではありません。

*嘔吐恐怖症|心理カウンセラーのメンタルヘルス日記

また睡眠障害も、実は一睡もできないと感じていても、多くの場合断続的にウトウトと浅い眠りについていることがほとんどで、しかしそれでは心身共に疲れが取れないため睡眠薬などによる治療が行われることになります。
さらに、そのような不眠症に陥った場合でも、そのような状態が延々と続くわけではなく、ほとんどの場合疲れが極限に達すれば眠らざるを得なくなると聞きます。
ですから過労死も、無理に睡眠時間を削ることで生じるのであり、不眠が原因でそのようなことにはなるわけではありません。

性欲は動物的な本能であると共に心理的・社会的な影響を強く受ける

以上のように、性欲はそれが妨げられたからと言って食欲や睡眠欲のように死に至るわけではなく、また無関心な人さえ出て来ていることから、種の保存のための手段として備わる動物的な欲求だとしても、それは食欲や睡眠欲ほど強いものではないと考えられます。

また前述の無関心な人の存在だけでなく、地域や時代によって出生率が大きく異なることから、性欲は心理的・社会的な影響を強く受けるものでもあると考えられます。
対して食欲や睡眠欲には、そのような差異は生じていません。

今回の内容はカウンセリングの領域とあまり関係がないように思われるかもしれませんが、そうとも言えません。
次回はジェンダー論では既に問題視されていることですが、性欲を本能的なもの、あるいは(特に愛しているのなら)誰にでも生じるはずのものと考えることから生じる悩みや人間関係のトラブル、人権侵害について記事にする予定です。
またこの記事で、フーコーの理論を分かりやすく解説した上野千鶴子氏の『おんなの思想』を援用しようと考えています。

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