NO IMAGE

私説:被害者の方は、いじめや加害者を許しても忘れても良く、恨み続けることの方がメンタルや社会への悪影響が遥かに大きい

たびたびの予定変更で恐縮ですが、今回はいじめについての記事です。
先週NHKで放送された、いじめをノックアウトスペシャル第9弾 「そうだったのか!? いじめって。」という番組でのやり取りに、個人的に疑問を感じたことがあったためです。

いじめは絶対に許してはいけない?

一番疑問を感じたのは、いじめた相手を許すことに関するやり取りの部分です。

以前にいじめられた経験のある若い女性の方がその経験を「それも良い経験だったと前向きに受け止めて生きて行きたい」旨の話をしたときに、ベテランの教師の方がその考えを「そんな風に考えてはいけない。いじめは決して許してはいけない。いじめられた方が良かった人など一人もいない。経験できて良かったと感じるのは、もっと良い関係からでないといけない」旨のコメントをして、かなり強く否定しました。

そのためその女性の方は休憩時間に涙を流しながら、自分の気持ちを正論で否定されてとても辛かった、しかし厳しいことを言われる覚悟で出演した旨のことをおっしゃっていました。

実は両者の間には会話のテーマに関するズレがあり、それが教師の方の非共感的になってしまった発言を生み出す一因となっていますが、その点については次回に検討します。

今回はそれに代えて、記事タイトルにあることを示すために、女性の方の考え方の是非について検討しますが、それには同じくいじめられた経験を持つ私自身のこれまでの人生を振り返ることが役立つように思えます。

自己分析でいじめの加害者への憎悪が蘇り、復讐することばかりを考え始めた

私は今では、いじめられたことを思い出すことさえ滅多になくなりましたが、例外的な時期がありました。
それはカウンセリングの仕事を始めた数年後に、昔から興味があった精神分析の自由連想法という技法を用いた自己分析をかなり集中的に行った頃です。

※そのときの自己分析はすべて「自己愛性パーソナリティの心理カウンセラーの自己分析」というブログに掲載しています。

心に浮かんだことをどのようなことでも言語化することで自覚して行くこの技法を毎日のように繰り返すうちに、やがて高校時代に私のことを休み時間の度に集団でからかい続ける女性集団のリーダー格の女性のことが次々と思い出され、それと共にその女性への猛烈な怒りが込み上げて来ました。

そのためその時期は、その女性への恨みを晴らすために、同窓会であった時に同級生の前でどんな風に恥をかかせてやろうかと策を練るようになっていきました。
つまりこの時期は私の心に復讐の炎が燃え盛るようになってしまったのです。

幸いその時の私には、それは実行に移しては行けないことだと思える罪悪感と、その制止する心の働きと復讐したい気持ちとの間の葛藤に耐えられる程度のストレス耐性が備わっていたため、その復讐劇が実行に移されることはありませんでした。

いじめの当事者は実体験のことを抜きにいじめについて冷静に考えることなどできない

この私の経験を加味しつつ前述の教師の方の「いじめは絶対に許してはならない」旨の信念について考えてみます。

もし私がこの教師の方と同じような信念を持っていれば、恐らく私は生涯にわたって、いじめられた時のことを度々思い出し、かつその度に加害者への恨みを募らせて行くことでしょう。
なぜなら、いじめの被害を受けたことのある当事者の私にとって、いじめとはその是非を問う現象である以前に実体験であり、その体験のことを抜きに冷静沈着な態度でいじめについて考えることなど、ほとんど不可能であるためです。

補足)この点は加害者もまったく同じです。特に今回のような討論番組に参加すれば、非難されることは目に見えているので、防衛的な態度を取ることは避けられないでしょう。

被害者はいじめや加害者を許しても忘れても良く、恨み続けることの方がメンタルや社会への悪影響が遥かに大きい

またいじめられた体験をリアルに思い出すことは、被害者の方に多大な苦痛をもたらします。

いくつか例を挙げれば、怒りの感情はそれ自体非常に不快なだけでなく、同時に復讐心も芽生えるため、それを実行に移したい衝動とそれを制止する自制心との間の葛藤にも苛まれることになります。
加えて傍観者の人々との間にも同様の心理が生まれる可能性があり、それらは社会全体への不信感や恨みへと発展しかねません。
また自分が抵抗できなかったことが思い出されれば、その自分への情けなさや無力感などが生じ、これらは自尊心の低下をもたらします。

これだけ挙げるだけでも十分だと思われますが、このようにいじめの被害者の方に、いじめや加害者を絶対に許さない心理状態が続くことはデメリットばかりで何もメリットがないように思えます。

強いて挙げれば、その怒りの矛先を加害者に向ける変わりに「いじめをなくす」という社会変革に向けることの社会的なメリットや、あるいはいじめた相手を見返してやると奮闘し多大な努力をして社会的な成功を勝ち取ることなどでしょうか。

ですが仮にそれらの成果を生み出したとしても、その人の心がいつも(それらの原動力である)怒りでいっぱいなのであれば、恐らくその人はどんなに社会的な名声を得たとしても幸福感を感じることはできないでしょう。

ですから被害者の方は、いじめや加害者を許しても忘れても良く、恨み続けることの方がメンタルや社会への悪影響が遥かに大きいというのが私の考えです。

最後にこのような記事を書いた私はいじめを肯定しているのかと言えば、まったくその逆で、むしろいじめという現象自体に対する考え方は前述の教師の方と同じようなものです。
しかしそれでも私の心の中では矛盾は生じていません。
次回はその理由を今回の記事の途中で触れた、いじめられた経験を肯定的に捉えたいと考える女性と、その考えを否定した教師との間に、会話のテーマに関するズレが生じていたことと共に述べたいと考えています。

NO IMAGE
最新情報をチェック!