「いのちの電話で自殺を思い留まる@うつ病」からの続き
いのちの電話への抵抗…
うつ病再発の日に続いて再び自殺念慮に襲われ、今回初めて「いのちの電話」に電話したわけですが、それまで自殺したくなるほど苦しい状況でも電話しなかったのには理由があります。「いのちの電話」のことを知らなかったわけではありません。知っていていつでも電話することが出来たのですがそうしなかった、いえ正確には抵抗があって出来なかったのです。
自己愛性人格による『恥』への執着:
「いのちの電話」の件には、私の主要な性格である自己愛性人格による『恥』への恐れ*が障害となっていたのだと思います。
*「恥をかくことへの恐れ」は誰でも持っているものですが、自己愛性人格障害の方は、その恐れが「あまりにも強い」ために社会生活の様々な場面で支障を来してしまいます。
「いのちの電話」に電話するまでの私は「うつ病なんで自分で治せる」とタカを括っていました。それに心のどこかで「『いのちの電話』に電話するようになったら(人間)おしまいだ。それは恥じるべきことだ」とも思っていました。ですから苦しくて電話したい衝動に駆られる自分が恥ずかしくて仕方がありませんでした。
そして、このブログをとおして「うつ病の自己治療の経過」を公開することで、代わりに自分のうつ病克服の自慢をしていたような気がします。
カウンセラーが「うつ病」になることへの恥…
今まで恥ずかしくて隠していたのですが、実は私はカウンセリングの仕事もしています。「も」と言うのは、カウンセリングでは全然生活が成り立っていないためです。
これまで「自分は『うつ病』のクライエントさんと接して来て、治療方法はある程度は判っている。だから自分がうつ病になっても自分一人で十分対処できる。」そのように考えてきました。
そして、そのような自信が自尊心の支えともなっていました。
しかし自信(いえ過信)は見事に打ち砕かれました…自殺念慮に襲われた私に成す術はありませんでした…
うつ病症状:
また「うつ病症状」という言い回しにしてもそうです。うつ病(正確には「うつ病性障害」)と診断されるためには、「大うつ病エピソード」にあたる症状のうち少なくても5つ以上が同じ2週間の間に存在すること、さらにそのうちの一つは「抑うつ気分」もしくは「興味あるいは喜びの消失」であること、が一つの要件とされます。
ところが私はこの基準を満たしていませんでした。そこで「うつ病様の症状」という意味で「うつ病症状」と明記していました。
確かに診断基準からは「うつ病性障害」に該当しないことは明らかです。しかし「うつ病性障害に当たらない」からといって問題がないわけではありません。
私は自殺念慮にまで至っているのですから、これは重大事のはずです。この事実を私は(一度自殺念慮を乗り越えた体験もあって)真剣には受け止めていなかったように思えます。
「うつ病」症状を受け入れる:
「いのちの電話」に電話して他人の助けを借りたことで、私は本当の意味で自分が心の病に罹り、うつ病症状で死にたいほど苦しんでいることをやっと「受け入れる」ことが出来たように思います。
これからが真の治療のスタートです。
もし今までのブログに不愉快な思いをされた方がいらっしゃいましたら、大変申し訳ないことを致しました。すべては私の傲慢さから出た過ちです。
「いのちの電話」解説本リスト
※「人格障害の定義」「自己愛性人格障害の定義」についてもご一読ください。
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