以前のブログ「対人恐怖症と自己愛性人格障害」では原因不明としていた私自身の視線恐怖症の心理メカニズムが自己分析により徐々に明らかとなってきました。
視線恐怖症と抑うつ型自己愛性人格障害の関連:
同じく「対人恐怖症と自己愛性人格障害」の中で「自己愛性人格障害の人々は他人の目に自分がどう映っているかで頭がいっぱい」と書きましたが、これは正しくは抑うつ型自己愛性人格障害の人々に見られる特徴です*。
抑うつ型自己愛性人格障害の人々は「他人の目に自分がどう映っているのか」を心配するあまり、自己愛的であるにもかかわらず、関心を自己ではなく他人に向ける傾向があります。
このため「他人が自分をどう見ているのか」すなわち他人の視線が気になって仕方がなくなるのだと考えられます。
*誇大型自己愛性人格障害の人々は、他人の否定的な反応による傷つきへの恐怖に対して、他の人々の反応を遮断し、むしろ周囲に無関心になることで対処しようとします。
自己分析:
女性に対する視線恐怖症
ところが私自身の視線恐怖症は少々事情が違っています。まず視線恐怖を感じる相手に性差があります。私の視線恐怖症は9割以上が女性に対するものなのです。さらに「好ましい」と感じる女性の方ほど、より視線恐怖を強く感じる傾向もあります。
これらには一体どのような心理メカニズムが働いているのでしょう?
自由連想法で視線恐怖症の底にある深層心理を探ってみると、かなり恥ずかしいことが色々と出てきました…
相手の視線をチェックしないと落ち着かない
まず抑うつ型自己愛性人格傾向の極めて強い私は、冒頭でも触れましたように「他人の目に自分がどう映っているのか」が気になって仕方がなく、確認のため(見ず知らずの)相手の方を度々チェックしないと落ち着きません。その際ジロジロと見たのでは怪しまれますので、見ていることを覚られないように「チラッチラッ」と見ます。
この「こっそりと覗き見る」ような態度が、子供の頃の恥ずかしい性癖を連想させました。
子供の頃の性癖
まだ5才で幼稚園に通っていた頃のことです。隣の組の先生がハーフのような顔立ちの色白でとてもきれいな方で、その先生はよくミニスカートを履いていました。私は(ハッキリした理由は判りませんが)その先生のスカートの中のを覗きたい衝動に駆られて仕方がありませんでした。
しかしそれは「悪いこと」「異常なこと、恥ずかしいこと」だと判っていましたので、堂々と覗くことなどできず、先生に知られないように「できるだけこっそりと覗き見る」ようにしていました。
子供の頃の羞恥心の再体験
このように二つの行動パターンにはこっそり覗き見るという共通点があります。
したがって私の場合、抑うつ型自己愛性人格の人々に共通してみられる「他人の目に自分がどう映っているのかを確認するために(見ず知らずの)相手の方を度々チェックする」行動パターンの背後で、そうすることで自分の恥ずかしい性癖をも見透かされるかもしれないことへの恐怖を感じていたような気がします。
つまり、今でも私は子供の頃に感じた羞恥心・恐怖を再体験していたのです。
女性の視線恐怖症への理解
このように理解すると、視線恐怖症が女性に対して、それもきれいな方に対してより症状が強くなることにも納得がいきます。
対人恐怖症の治療本
※「人格障害の定義」「自己愛性人格障害の定義」についてもご一読ください。