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父の虐待は羨望?@誇大型自己愛性人格障害

自己愛性人格障害の羨望:

「羨望は、自己愛的構造を持った人に大変よくみられる、自分自身や他人を上から判断しがちな性質の源になっている場合がある。
…自分には何かが欠けていて相手にはそれがすべて備わっていると感じたとしたら、痛烈な批判や軽蔑、非難を浴びせて、相手に備わっているものを全部破壊してしまおうとするであろう。」(パーソナリティ障害の診断と治療 P.202)
これは自己愛性人格障害の人々の羨望に関する記述です。ちなみに誇大型自己愛性人格障害の人々は、ここに書かれていることを文字どおり実行に移しますが、抑うつ型自己愛性人格障害の人々は相手の反応への恐れから、内的な批判に留まる傾向が傾向があります。
関連ブログ:誇大型自己愛性人格障害と抑うつ型自己愛性人格障害の違い
自己愛性人格障害の羨望のメカニズムは、子供の頃の父の虐待に関して一つの洞察をもたらしました。

父の虐待は羨望?

物心ついた時から私は、特に父から繰り返し虐待(具体的には暴力・罵倒・軽蔑・脅し、など)を受けてきました。さらに虐待を受ける理由が私にはさっぱり判らなかったため対処のしようがなく、常に「父の虐待が起こるのでは?」と不安に怯えていました。
その後、父の虐待の理由は「気まぐれ」からで、したがって「すべては父の機嫌次第」と理解していたのですが、最近虐待の場面を詳しく思い出してみると、虐待を受ける時の私の行動に一定のパターンがあったことが判りました。それは「楽しさ」と「甘え*」です。
この二つを表現した時に父の怒りを買い、決まって虐待を受けました。
これはあくまで私の主観に過ぎない解釈ですが、もし父が誇大型自己愛性人格障害の問題を抱えていて、この二つの感情をあまり持ち合わせておらず他人がそれを持っていることに激しい羨望を掻き立てられるとしたら…その惨めさに耐えられずに(たとえ相手が息子であれ)それを破壊したい衝動に駆られるに違いありません。
これまで私は、その暴力性と「あまりにも恥を知らない」性格から父を反社会性人格障害の可能性が高いと考えていたのですが、今回の洞察を契機に誇大型自己愛性人格障害へと見方を変えました。
結果的にその方が父のその他の行動も、より理解できるようになりました。
*「甘え」については羨望と別の原因も考えられますが、それについては別の機会に譲ります。
「虐待」解説本リスト
※「人格障害の定義」「自己愛性人格障害の定義」についてもご一読ください。

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