赤ちゃんの破壊空想:
「お母さん、あなたが私の破壊から生き残ってくれたので私はあなたを愛します。夢と空想の中であなたのことを考える時はいつもあなたを破壊していますが、それはあなたを愛しているからなのです。」(赤ん坊と母親/ウィニコット著 P.43)
これは赤ちゃんの持つ正常な攻撃性(破壊願望)を示したもので、具体的には乳房を噛むといった行為で表現されます。
ウィニコットは、赤ちゃんのこのような攻撃に対して、お母さんが報復することなく生き残ることで赤ちゃんの愛に応えることの必要性を説きました。
自己分析:
奇妙な破壊空想…
これを読んだ時、小学校の時の空想を思い出しました…小学校に入ってからの数年間、私は度々ある場面を空想していました。それは次のような空想です。
薄暗い穴蔵のような場所…好きになった女の子が倒れている…女の子は片足(あるいは両足)が太腿の所で切断されていて歩くことができない…私はその女の子を助けに行く…
この奇妙な空想は「好きになった子」であれば誰でも、まったく同じ形をとりました。これは上述の赤ちゃんの持つ破壊的な愛情と同じなのでしょうか?
しかしこの破壊空想は、赤ちゃんにとっては正常な行為であっても、それを小学生が行うというのは異常なことのように思えます。
また最近「ロシア人格闘家が後ろから相手の乳房を責め立て、相手が苦痛に喘ぐ」という夢を見ました。この夢も赤ちゃんの破壊的な愛情表現を連想させます。
だとすると私は、この時期の発達課題を上手く達成できず、そのため(攻撃から母が生き残ってくれる体験を得るために)空想や夢の中で形を変えながら未だにこの課題に挑み続けているのかもしれません…
機会があれば母に、授乳の時の様子を聞いてみようと思います。
太腿の切断…
もう一点、気になっていることがあります…空想の中に出てくる太腿の切断です。太腿と聞くと何かエロティックな感じがしますが、空想している時の私にそのような感情は一切なく、空想全体が幻想的な雰囲気に包まれていました。
また太腿からは「女性視線恐怖症と抑うつ型自己愛性人格障害」でも触れた、幼稚園の先生のスカートの中を覗きたい衝動とのつながりも感じられるのですが、その当時もエロティックとは何か違う衝動に駆られていた気がしてなりません。
これは何かの象徴なのかと、こちらも気になって仕方がありません…