「自由連想法による自己分析を始めるまでの経緯」にも書きましたとおり、「精神分析セミナー」という本に触発されて、自由連想法を用いて自己分析を始めることにしました。
ちなみに今日は元旦。新しいことを始めるには相応しい日かもしれません。
自由連想法の内容:
いよいよ自由連想法スタート。ノートパソコンを前に、頭に浮かんできたことを残さず記録していきます。はたしてどのような無意識が飛び出してくるのか?上手くできるのか?期待と不安が交差しています。50分間で次のような連想内容が出てきました(連想順)。
・父親への出せなかった手紙
・家の近所で偶然お合いして以来、妙に気になっているカフェの店員さん
・子供頃のお絵書き
・もうその当時のように独創的な絵を描けなくなったことへの落胆
・幼稚園のハーフっぽい先生
・クライエントさん
・身体症状(体の痒み)
・昔勤めていた会社の同僚
・幼なじみ
・高校のフォークダンス
・若くして癌で亡くなったことを最近知った元同僚
・子供の頃の数字への囚われ
・そのことで母親から「ちょっとおかしい子」と思われていたという恐れ
自由連想法による自己分析からの洞察:
自分の気持ちを相手(特に女性)が汲んでくれるのが当然と思い込む傾向があること。
きっかけは高校のフォークダンスの記憶でした。小学校の同級生と偶然ペアになったときのことです。いろいろと話しかけてくれた彼女に対して私は終始無言でした。理由は恥ずかしかったからでも話すのが嫌だったからでもありません。何と空想に浸っていたのです!
当時よりも数段きれいになった彼女がいろいろと話しかけてくれることに、空想上で一人嬉しさを噛み締め、さらに(今思えば)自分がそう感じていることが「何も言わなくても相手に伝わる」と勘違いしていたようです。
ただ、なぜそのような空想に浸る必要があったのかについてまでは洞察が深まりませんでした。
その後彼女の態度が一変したことについて当時ショックを受けましたが、今でしたら、これも身勝手で馬鹿げた思い込みから不快な思いをさせてしまったことへの当然の酬いだと納得できます。
自由連想法による自己分析の印象:
今回、自由連想法による自己分析を初めて経験して感じたことは「昔の記憶がこれまでとは違った形で思い出される」ということです。
具体的にはそれぞれの記憶の共通点が浮かび上がったり、同じ記憶を想起するにしても、より細かく、かつ感情を伴った「まったく新しい経験として」思い出されました。
よく精神分析の本で自由連想法の説明の際に「情緒を伴った回想」という言葉が使われますが、「情緒を伴った」とはこういうことを指すのかと思える体験でした。