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罪悪感の躁的防衛(否認)としての蔑み-自由連想法による自己分析101回目

自由連想法による自己分析(重要な連想のみ):

K印刷 後ろで所長や部長が見張る中でのデザイン作業
まるで私が急かされて必死になっているのを面白がるように「同じような場面で派遣社員にプレッシャーをかけて虐めてやった」と得意げに話す
「派遣なんて人間扱いする必要ないんだ」とも
罪悪感に耐えきれずに否認したのでは?
一見尊大な態度の影に罪悪感への恐怖が存在 罪悪感を感じないわけではないんだ

自己分析からの洞察:

これは印刷会社でデザイナーをしていた頃の出来事の回想です。上司に急かされる中でのデザイン作業は経験したことのある方でしたらお分かりでしょうが、精神的にとても辛いものです。

罪悪感の躁的防衛(否認)としての蔑み

ところで、なぜ上司がこのような人を蔑むような態度に出たのか考察した際に「罪悪感に耐えきれずに否認したのでは?」という解釈が浮かんできたのはちょっと不思議でしたが、あとで自由連想法のプロセスを振り返ってみて理由が分かりました。
自由連想法の中で無意識に上司の顔をイメージしたところ、その表情は蔑むような感じにはほど遠いもので、むしろ恐怖に歪んでいました。それで前述のような解釈が思い浮かんだのだと思います。これは推測に過ぎませんが、そのときの上司には無意識のレベルで次のような心理的プロセスが働いていたように思えます。

罪悪感の躁的防衛(否認)により蔑みが生じるメカニズム

1. 相手に(急いで作業させるという)精神的苦痛を与えることへの罪悪感を感じる
2. その罪悪感に耐えきれずに躁的防衛のメカニズムが働き、相手を「罪悪感を感じる必要のない存在」に貶めることで罪悪感を感じる恐怖から逃れる→「派遣なんて人間扱いする必要ないんだ」がその心理を象徴
3. 結果的に罪悪感は否認され意識から排除される

自分の心にもある罪悪感の躁的防衛(否認)としての蔑み

ところでこのように相手の心理を推測できるということは、裏を返すと私自身にも罪悪感を否認して相手を蔑む心理が存在していることを意味します。なぜなら(精神分析的な仮説ではありますが)「心の中に存在しないことを思考することはできない」と考えられるからです。
もっとも相手のことを蔑みの目で見るときは罪悪感など微塵もありませんが…これが否認の持つ「無意識の作用」というものなのでしょう。

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