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フォーカシングによる自己分析のテーマとした思考:

空想上の悪魔による迫害妄想-自由連想法による自己分析125回の洞察へのさらなる空想
・「大切な秘密だから大事な所に隠す」とは心の奥に封印しておくという意味で、前回の自己分析で妄想的に悪魔の存在を空想していたことを知ってしまったことで、解いてはならない封印を解いてしまったのではないか?
だから自己分析後に気分が悪くなり、中途覚醒などの症状を発症したのではないか?
・悪魔の空想の要因は生得的なものなのか、それとも養育などによる環境因なのか?
・もしかしたら母親から否定的な要素をすべて空想上の悪魔に還元し、肯定的な要素のみを母親に残すことで理想化したことで、何でも母親の言いなりになるような子供に成長したということなのか?
だから意識的にはどんなに腹を立てても(無意識的な理想化の力で)決して母親に逆らえなかったのか?

フォーカシング・自由連想法による自己分析の内容:

「封印を解いてしまった」ことを実感すると、いまだに得体の知れない不安を感じる
その不安はお腹の辺りで感じる
これはフォーカシングの出番か?
(急遽フォーカシングによる自己分析に変更)
フォーカシングなんて久しぶりなので上手くできるだろうか…
お腹がまるで「池」のように見える
池の水が淀んで黒ずんでいる
昔パソコンで作った作品に出てきた池だ
ん?池じゃない、沼だ、それも底なし沼だ!
落ちたら二度と浮かんで来れない底なし沼
ただしこの沼に近づくと景色がグレーに変わる
だから用心してさえいれば底なし沼に落ちる心配はない
(いつの間にか自由連想法に戻っているw)
用心…生まれたときの私は神経質そうに辺りを見回していたそうだ
まるで身の危険を感じて用心するかのように
大変な所に生まれてきてしまったとでも言いたげだ
(再びお腹に注意が向く)
もう自由連想法でもフォーカシングでもどちらでもいいw
貪欲 すごい飢えを感じている
誰も罠に引っかからず、ずいぶん長いこと食べ物(人間の子供)を口にしていないためだ
元はと言えば、私が底なし沼の秘密を作品を通して世間の子供に暴露してしまったからだ
だから猛烈に怒っている
今にも食い殺さんばかりに怒っている
(イメージの中で底なし沼に向かってしまう予感)
行けば確実に殺されると分かっているのに、逆らえそうにない…
知らず知らずのうちにヘマをやらかすことと似ている
とっさにドイツ神話の木の精メルクリウスを騙して壜に閉じ込めてしまう少年の話を思い出す
その少年と同じことをしようとしているのだろうか?
本当に同じことができると思っているのだろうか?
何か躁的防衛の臭いがする
たぶん止めた方がいいような気がする
自殺行為と「分かっていても」それでも試してみようとしている
ビルの窓から飛び降りたい衝動に駆られたときと一緒だ!
誰かに囃し立てられている
「早くしろよ! は・や・く! は・や・く!」
(愚かにも観衆の期待に応えようと満面の笑みを注いでいるパレードのイメージ)
昔行ったナラティブセラピー*でも、物語の最後に勇敢な娘を祝福するパレードが登場した
*関連ブログ:ナラティブセラピー☆ボクのアニマはマッチョ、マッチョ
幼稚園の頃、ジャンケンに負けて三面鏡でお尻の穴を見せなければならなくなったときの記憶
負けたのは事実だけど…でもお尻を出したくなかった、死ぬほど恥ずかしかった
それでも「早く」と急き立てられお尻を出さなければこの場が収まらないと感じ、勇気を出してお尻を見せた
しかし結果は…死ぬほど恥ずかしい思いをしたのに「気持ち悪い」と言われた…
すべての苦労が水の泡になってしまったと思った
勇気を出しても、ろくなことにならない
いや、むしろ騙されるだけだ
煽てられ調子に乗せられ、最後に笑いものになるだけだ
とんだピエロだ
貧乏くじ
母親も私を産んだとき「貧乏くじを引いた」そう思ったと感じた
貧乏くじ…恵まれない子供
醜いアヒルの子
たしかに私は美男子とは程遠い
女子にいじめられるぐらいだから
もしかしたら自分は人からいじめられるために生まれてきたのかもしれない
だとすると、けっこう順調な人生を歩んでいる
もうどうでもいい、そんなことはどうだって
口車に乗せられ高い浄水器を買ってしまい、その後ローンの支払いに苦しんだ
もうすぐその業者が「無料点検」と称してまたやってくる
まずい、こんな心理状態ではまた騙されてしまう
いかん、いかん、気をしっかり持たないと
奴らの好きにさせてはならない
そういえば昨日の自己分析で悪魔の空想(それも妄想)癖があることを知ったのに、今日になると自分の空想癖が何だか心地よい
空想が自分に欠けている力強さを与えてくれるような感じがして、むしろ心強い
そういえば昨日の夜、父親のことを空想していた
お通夜の前の晩、客間で父親の遺体が横たわっているイメージ
死んだはずの父親が起き上がる
なんとその父親が信じられないことに笑っていた
いま想像しても少し目頭が熱くなる
私には父親が笑いかけてくれた記憶がない…
その父親が笑っていた 嬉しかった
そう思うと父親に申し訳ないと思った
ちゃんと経済的に不安定なフリーランスではなく会社に勤めることを望んでいた父親
その父親の願いを生きている間に叶えることのなかった自分
ごめん、ごめん、と何度も謝った
もしかしたら、それまで好きになれなかった父親に対して謝罪する気になれたことで、無意識に父親のことを許し、私に欠けていた父親の属性(たとえば力強さ)が芽生え始めたのかもしれない
そう考えると今まで感じたことのない自分の力強さにも合点がいく
もしかしら子供の頃の私は、空想と友達のように戯れ、大人になってからはすっかり影を潜めてしまった力強さを得ていたのかもしれない

自由連想法による自己分析からの洞察:

フォーカシングで現れた沼のイメージは「悲しみの沼」と名づけているもので、子供の悲しみの心を食べて成長する空想上の産物です。これまではその性質からネガティブな印象を持っていましたが、今回の自己分析から、それはむしろ抑圧された力強さの象徴であることを知りました。

父親の力強さ

イメージの中の亡き父親が笑いかけてくれたことで、今まで抑圧されていた自分の力強さ(健全な自己主張や当然の怒り)を少しだけですが感じることができました。
また今回の自己分析で長年わだかまりがあった父親(より正確には「心の中の父親のイメージ」)との和解ができたような気がしました。

攻撃的な空想は力強さの表れ

さらに、これまで攻撃的な空想を有害なものとしてしか捉えていなかったですが、それは抑圧された力強さの表れであり、攻撃的な空想はむしろ傷ついた自尊心(自己肯定感)を支え、潜在的には自己崩壊から身を守っていた、したがって否定的な働きばかりではなかったことにも気づかされました。
自己主張できない方のためのアサーティブ・トレーニング解説本

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