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食事への恐怖から嘔吐恐怖症に-自由連想法による自己分析139回

自由連想法による自己分析の内容(重要な連想のみ):

食事だってそうだ
食欲がないと、それが心理的な問題の現れと思う
食欲があるのが普通、正常なのであり、食欲がないのは異常なこと
子供の頃の記憶
「食欲がない」
「ないわけないでしょ! 食べたくないだけでしょ! わがままばかり言って! 人を困らせて何がそんなに楽しいの!」
そうか「食欲がない」という言葉は食べたくないときの言い訳に使うものであって、食欲がないはずはない…我が家ではそういうことだったのか、知らなかった、いやすっかり忘れていた
食欲がないと言っても叱られるだけで、何の得にもならなかったんだ
食欲がないのは許されない、だから常に食欲がなければならない
嘘でも食欲を感じなければならない
そうしないと食べないことで叱られてしまう
私にとって食事は、常に叱られる恐怖と隣り合わせだったんだ
そういえば今でも食事をしながら「ちゃんと全部残さず食べられるだろうか?」と心配しながら食事をし、残り少なくなってくると「もう大丈夫だ」と安心…そんなことがよくある
まるで母親や祖母に成り代わったようにして自分を監視している
私は果たして、純粋に食事を美味しく味わったことがあるのだろうか?
自信がない…
「人を困らせて何がそんなに楽しいの!」
自分はそんなつもりは毛頭ないのだが…
そんな風に思われるのは、もしかしたら自分は気づかないうちに他人に意地悪したり、まったく自覚なしに他人を傷つけてしまっているのかもしれない
これは恐ろしいことだ! 何しろ自覚がないのだから防ぎようがない!
だったら自分が傷つくように仕向けていれば、他人を無自覚に傷つける心配はなくなるのではないか?
これは名案だ これしかない 他人に危害を加えるのをを防ぐにはこの方法しかない
苦しくても仕方がない
そうしないと恨みからどんな仕返しをされるか分からない
きっと倍返しされるに決まっている 
それだけ酷いことをしているわけだから
当然の報いだ

自由連想法による自己分析からの洞察:

食事への恐怖から嘔吐恐怖症に

食事の際に食欲がないと「ないわけないでしょ! 食べたくないだけでしょ! わがままばかり言って! 人を困らせて何がそんなに楽しいの!」と言われていたことはすっかり忘れていました。
しかし思い出してみると、この反応はかなり苦痛ですね。
私の神経症的な症状の始まりは5才のときで嘔吐恐怖症が最初でした。自由連想法の内容から察するに、子供の頃の私は常に全部食べなければというプレッシャーや食べられないと叱られる恐怖を感じながら食事をしていたのですね。
おそらく嘔吐恐怖症の症状は、食事のときに感じるプレッシャーや恐怖を体現しているのでしょう。

愛情が生んだ食事の恐怖

しかもこれまでの自己分析からの洞察によれば、母親の仕打ちは決して私を苦しめるためではなく私の健康を心配してのことでした。
幼い頃から病弱だった私に対して危機感を感じた母親は「何でも残さず食べなければ死んでしまうかもしれない」との恐怖に駆られ、どんな手段を使ってでも食べさせなければならないと固く誓ったのだと思います。
しかし愛情が高じて食事を恐怖の時間へと変貌させたとは…何とも皮肉な話です(T_T)
嘔吐恐怖症ほか、恐怖症 克服・治療ガイド

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