自己分析のテーマとした症状:
支配的・迫害的な母親のイメージ(自我心理学では過酷な超自我)からの解放
自由連想法による自己分析:
これまでの自己分析で毎回のように登場してきた支配的・迫害的な母親のイメージ
変わらぬ支配的・迫害的な母親のイメージ-自由連想法による自己分析130回でも示されたように、今の実際の母親はもう昔のような支配的・迫害的な母親とは違ってきている
それを頭では理解していても、心の中の母親のイメージは以前とほとんど変わず、支配的・迫害的なまま…
一体どうしたら、この残虐な母親のイメージから逃れられるのだろうか?
もし支配的・迫害的な母親のイメージに別れを告げることができたら…
それは母親(のイメージ)を捨てたことになると思う…
「なんて薄情な子なの! 恥を知りなさい!」
「誰のおかげでここまで大きくなれたと思ってるの!」
そんな罵声が飛んできそうな気がする
それにそんなことをしたら母親は絶望から自殺してしまうような気がする
少なくても自殺を脅しに使うような気がする
そんなことになれば一生消えない罪を背負うことになる
今にも死んだ母親が化けて出てきて、私にすがり付き離れないような気がする
こなき爺のように
「私に捨てられた、見捨てられた」
「お前のせいだ、すべてお前のせいだ」
と毎晩責め続けられるような気がする
だから(報復が)怖くてそんなことできない
母親(のイメージ)に支配され続けることを自分に課すことで私は安心していられる
かろうじて生きることを許される
生きていていいのだと思える
母親の役に立っているのだと思え安心できる
安心して眠ることができる
そう、母親の支配・迫害は「お守り」のようなもの
お守りだからどこへ行っても話さない
お守りだから私を守ってくれる
母親から支配・迫害され続けることではじめて、私は生きていることを許される
他人には理解できないだろうけど…これは本当のこと
誰も信じてくれないだろうけど…これは本当のこと
私と母親にしか理解できないこと
それほど固い絆で結ばれている
どちらか片方だけが死ぬなんて許されない固い絆
そんな裏切りは許されない
残された方の悲しみを思えば許されない
そのためなら私などどうなってもいい
もともと、そしてこれからも、どうでもいいような存在だし
大して役にも立たないだろうし、迷惑ばかりかけて
いっそ死んでしまった方が良いのかもしれない
それが世のため人のため
何て良い奴だ、お前は
すばらしい博愛精神
自慢の息子
我が家の自慢
父親とは大違いの、できの良い息子
結婚なんかしなければ良かった
騙された
貧乏くじ
あの頃が懐かしい
あの頃の私が懐かしい
もう一度あの頃に戻りたい
も一度あの状態に戻りたい
息子がそれを叶えてくれる
私にはもう息子しかない
息子の幸せ以外は考えられない
私はどうなってもいい
お互いに「自分はどうなってもいい」
まるで昼のメロドラマに出てくる、自ら不幸な人生を招く主人公のようだ…
お互いに「相手の幸せのために自分が不幸に」なろうとしている
ということは、自分が幸せになると相手が不幸せになる?
自分が幸せになることで、相手を悲しませる
自分が不幸になることで、相手が幸せになる
自分の分も幸せになって欲しい
いや、そう振舞うことで、どこかで相手から同情されることを願っている
悲劇のヒロインの気分
不幸を装うことは相手を操作するための強力な武器
罪悪感を利用した究極の武器
自分の望みどおりにならなければ「薄情者」と責めることができる
不幸は武器
自己分析からの洞察:
母親との同一化・共依存
自由連想法の中で母親との心理的同一化が示されました。特に「自慢の息子~私はどうなってもいい」のくだりは、まるで母親の心が乗り移ったかのように母親の気持ちを代弁するような自由連想が展開されています。
これは以前の自己分析(母親と同じ自己愛障害-自由連想法による自己分析160回)でも見られた、母親との一心同体とも思える強い共依存関係の表れといえます。
自己犠牲による共依存
お互いに相手の幸せのために自分を犠牲にし、なおかつ自己犠牲の精神を見せつけることで相手の同情を買おうと試みる…それが私たち親子の共依存の特質です。
自己犠牲をテーマとした心理学の本
共依存 心理学的分析本リスト