分裂への心理学的考察:
分裂の防衛機制が働いているように見える境界性パーソナリティ障害のような自己
これまでのゲシュタルト療法によるインナーチャイルドの癒し・自己分析・治療のプロセスから、分裂(自我のスプリッティング)と呼ばれる防衛機制について私なりに考察してみました。
ゲシュタルト療法による自己分析に現れた一連の自己には、一つの共通点が見られました。それは一見、境界性パーソナリティ障害(BPD・ボーダーライン)の方にしばしば見られる分裂(自我のスプリッティング)と呼ばれる防衛機制が働いているような自己の反応です。
それまで共感されていると感じている間は大人しく話をしていたのが、ひとたび共感されていないと感じると途端に憤慨し、心理カウンセラーの立場としての私を怒鳴りつけたりしています。
このような自己の憤慨した反応には、それまでの心理カウンセラーの共感的態度があたかも存在していないかのような印象を抱きます。
この心理カウンセラーの発言の連続性が失われてしまっているような印象が、良い対象と悪い対象とに分裂したかのように見えるわけですが、心理カウンセリングされる側の自己として話しているときの私が感じていたのは、分裂(自我のスプリッティング)で説明されるような心理とは違っているように感じられました。
極端なストレス耐性の低さ
心理カウンセリングされる側の私が常に体験していたのは、極端なまでの情動への耐え難さ(ストレス耐性の低さ)でした。
そのため共感されていると感じられるときは何とか安心して話をすることができましたが、少しでも共感されていないと感じると途端に体の中から情動が沸き起こり、激しい怒りを覚えました*。
心理カウンセラー側から見れば、自分のこれまでの貢献をすべて無視された(結果、自尊心を傷つけられた)ことになり、この通常なら「当然」加味されるべきことが無視される心理の説明として、分裂のような複雑な解釈が生まれたのかもしれません。
しかし私が体験したのはもっと単純なもので、極端なまでのストレス耐性の低さでした。
これはあくまで個人的な考察に過ぎませんが、境界性パーソナリティ障害の方などが(私を含めた)心理カウンセラーを大げさに賞賛したり憤慨したりを繰り返すのは、分裂の機制が働いているというよりも、ストレス耐性の低さによる反応の極端さの表れのように思えます。
心理カウンセラーの態度がネガティブなものに感じた場合はすでに述べたましたように、それによって生じる情動に圧倒されて即座に表出されてしまうでしょうし、反対に心理カウンセラーの態度がポジティブに感じられる場合は、情動に圧倒される恐怖から逃れられる「つかの間の平和」であり、それは大変貴重なものであるはずです。
ですから心理カウンセラーへの過度の賞賛は、クライエントさんの「その貴重な体験をもっと与えて欲しい」という強い願望の表れのような気がします。
*より正確には、激しい怒りを感じその怒りを我慢することなく表現しました。これは私自身の境界性パーソナリティ障害的な部分を感じながら自己分析を進めたためで、実際に境界性パーソナリティ障害の診断基準を満たしているわけではないことからくる限界と思われます。
境界性パーソナリティ障害の治療・診断・症状・対処 解説本