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自由連想法による自己分析・自己治療のテーマとした症状:

鼻づまりによる嘔吐恐怖症・めまい

新宿ベルクランチを食べようとすると急に鼻づまりを感じ、その鼻づまりの酷さから嘔吐恐怖症のような吐き気や頭痛・めまいも生じたため、ほとんど食事ができませんでした。
最初は現在治療を受けている眼精疲労や副鼻腔炎(蓄膿症)のせいだと思い病院へ行ったのですが原因は不明…
それに鼻づまりのはずなのに鼻をかんでみると鼻はさほど詰まっていませんでした。
どうやら鼻づまりの症状は内因性によるものではなく心因性(心理的要因)のもののようです。
そこで偽りの鼻づまりを感じ恐怖に駆られる心理について、自由連想法による自己分析・自己治療を試みました。

自由連想法による鼻づまりの自己分析・自己治療:

なぜ詰まってもいないのに鼻づまりを感じ吐き気までしたのか?
(朝から鼻づまりを感じるまでのことを回想)
起きてすぐに録画していたK-1を見た
佐藤がブアカーオに勝ったのにビックリ☆
その後、何となく目の調子がおかしいことに気づく
眼精疲労の症状(目の疲れ・目の奥の痛み・側頭部の圧迫感)
このあたりから体調がどんどん悪くなっていった
しかし今考えると不思議だが風邪だと思った
そこで四谷治療院(整体)の予約をした
(オステオパシーという整体は風邪の症状にも効きます)
思い出した、鼻づまりが酷いので風邪だと思った
それで整体の予約をしたんだった
家を出るときに点鼻薬を使った
いつもならしばらくすると鼻づまりは解消するのだが、今日は効果がなく、ますます鼻づまりが酷くなり結果、嘔吐恐怖症のような吐き気を催した
起きたときは大丈夫だったのに、なぜ急に鼻づまりになったのだろう?
イライラ?焦燥感?
鼻づまりのイメージから、夢分析の勉強を始めたばかりの頃に見たスピリチュアルな雰囲気の夢を思い出す
(夢に出てきたイメージを描いてみる)
カタツムリのような物体から出口が左右に分かれている
内容は忘れたが、それぞれの方向に異なる意味がある
運命の分かれ道、決断のとき
当時の夢分析では自分が黒人のアスリートになったようだと言っていた
躁的防衛(否認)の臭いがする
躁的防衛による焦燥感?
それは当時の話だ
決断…何か重要な決断を強いられている?
(昨日の寝るときの空想を思い出す)
(いろいろ身体症状があるにもかかわらず、どれも原因不明で治療効果も上がらないことで)もう自分は長くない、だからやりたいことは今のうちにやっておこう、悔いのないように
そう思うと少し気が楽になった
しかしこんなネガティブな空想をしては、また気分が悪くなるだけだと思い直した
しかしそうなっても構わないと思った
そして翌日、気分が悪くなった
ネガティブな予想の自己成就・自己実現?
ん?気が楽になったことに対して「気分が悪くなる」と不安に駆られるのはおかしいのではないか?
(急に鼻づまりを感じ始める)
何かに怯えている
狼の赤ちゃんのイメージ
子供の頃も嘔吐恐怖症のときは鼻づまりも感じていたのだろうか?
母親と弟とYおばさんと札幌へ遊びに行ったときの記憶
急に鼻づまりが酷くなり吐き気がした
心配するYおばさんと「見え透いた嘘」だとして腹を立てる母親
そうか嘔吐恐怖症は、母親には仮病だと思われていたのか
甘えやわがままからの仮病だと
本当に苦しかったのに…酷い話だ…
少し前に観たNHKの虐待の番組でのコメント
発達障害の子供を持つ母親の、自分の子供が障害児だと認めたくない心理
子育ての失敗の結果だと責められているように感じると
もしかして母親も同じ心理だったのか
仮病のはずがないだろ、怒鳴られたり叩かれたりするだけで何の得にもならないんだから
しかし母親、いや父親や祖母からもやはり仮病だと思われ怒鳴られた
誰も私の苦しみを理解してくれなかった
いや、Yおばさんは心配してくれた
最近分かったことだが、Yおじさんとともに暗に親のように慕っていた
子供の頃に一度、無意識に「ママ」と呼んでしまい弟にからかわれたことがあった
そういえば少し前にYおじさんの夢を分析しようと思いつつ、そのままだった
実の両親と違い私を可愛がってくれたYおじさんとYおばさん
この人たちの子供として生まれて来れば幸せだったのに
父親も祖母も母親同様、私が精神障害だと認めたくなかったのだとしたら
一家の恥、恥さらし
私は恥ずかしい子供
一家の評判を落とす悪い子供
そんな子供はいない方がいいのかもしれない
いや、生きていてはいけないのかもしれない
迷惑なだけなのだから
父親も母親も祖母も揃って「恥ずかしい」が口癖だった
私はその象徴だった
精神障害を持つ、一家の恥さらしの子供だったのだから
そうか、嘔吐恐怖症の吐き気に苦しむ私に母親があんなに腹を立てたのは、Yおばさんの前で恥をかかされたことへの怒りだったのか

自由連想法による自己分析・自己治療からの洞察:

精神障害(嘔吐恐怖症)の子供を持つ家族の恥の心理

鼻づまりからの嘔吐恐怖症への自由連想法による自己分析・自己治療から、子供の頃の精神障害(嘔吐恐怖症)に苦しむ私に対する家族の心理が洞察されました。
精神障害を抱える私は家族にとって恥ずべき存在であり、その恥の心理が人様の前で精神障害の症状を発症する私を罵倒する行為へと駆り立てていたのでしょう。

精神障害(嘔吐恐怖症)と家族の怒りの二重苦

子供の頃の私は精神障害(嘔吐恐怖症)自体の苦痛に加えて、家族から恥をかかされたことへの怒りを向けられる二重の苦痛を味わい、おそらく生きた心地がしなかったに違いありません。
さらに精神障害について家族の誰からも理解されないことによる孤立感をも感じていたはずです。
私が嘔吐恐怖症を発症するとき、意識的には嘔吐恐怖症の症状への苦痛しか感じられなくても、無意識では家族から恥をかかされた怒りを向けられる恐怖や、誰からも自分の苦しみを理解してもらえず助けてもらえない孤立感を再体験しているのかもしれません。

恥をかかせたことへの無自覚に対する怒り

札幌の件では、嘔吐恐怖症の後に洋服売り場で「あんたにこんな服着こなせるわけないでしょ」と罵倒されましたが、これも今回の自己洞察を踏まえれば理解できます。
人前で嘔吐恐怖症を発症され恥をかかされたのに対して、何ら反省の態度を見せず平気で「おねだり」してくる私がきっと許せなかったのでしょう。
障害児を持つ家族の心理 心理学的分析本

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