辛い記憶の想起:
寝る前に突然、昔の辛かった頃の記憶が次々と思い出されてきました。それは最後に勤めていた会社の思い出でした。
知性化(感情が隔離)された記憶の想起:
これまでもときどき当時の辛かった出来事を思い出すことはありました。たとえば次のようなことを…
・いつもチーフとしての責任から一人残って残業
・睡眠時間2時間の毎日
・月200時間の残業
・よく浴槽の中で眠ってしまったこと
・検査しても異常の見当たらない原因不明の記憶障害
ただし、これらのことを思い出しても当時の辛さが蘇ることは一切ありませんでした。おそらくこれらの想起は、防衛機制でいえば感情が隔離された知性化によるものだったのだと思われます。
これまでの私が自覚していたのは当時感じていたリアルな辛さではなく、ヘルスケアの知識を借りた知的な解釈からもたらされた「これだけのことがあったのだから相当辛かったに違いない」という思考であり、それは感情ではありませんでした。
本当の辛さを初めて実感:
しかしこの日の私は違っていました。数字で表せるような客観的な辛さ?ではなく当時感じていた本当の辛さが実感されたのです。
それは上述の要因からもらたされた慢性的な睡眠不足との戦いの日々の辛さでした。睡眠不足による極度の疲労から、少しでも気を抜くと眠ってしまうため常に気を張っていなければならない、言葉を変えればリラックスすることが許されず常に緊張していなければならない辛さでした。
そしてこの辛さを実感したことで、当時なぜ浴槽の中で眠っていたのか(本当の理由が)理解できました。
明け方家に帰り、そのまま布団に寝てしまったが最後、遅刻せずに起きる自信はまったくありませんでした。しかし浴槽の中でしたら、いずれお湯が冷めて寒くて目が覚めます。だから(半ば確信犯的に、ある意味安心して)いつの間にか浴槽の中で眠るのが習慣となっていたのでした。
疲れを取るためでしたら布団で寝た方が良いに決まっています。しかし当時の私は遅刻するのが怖くてそれができなかったのです。
本当の辛さを実感したことによる自己受容と心の癒し:
こうして当時の「本当の」辛さを次々と実感することで、会社を辞めた自分に対する気持ちにも変化が生じました。
これまでの私は何度か職を転々としてきたため、上述の最後に勤めていた会社を辞めたことについても(いくら辛かったとはいえ)それで会社を辞めてしまう自分を情けなく思っていました。つまり気持ちの上では「他の会社を辞めたときと何ら違いはない」と感じていたのです。
しかし今回、当時感じていた本当の辛さを実感できたことで、会社を辞めてしまった自分を責めるのではなく赦すことができました。
こうして私の心に自己受容と心の癒しがもたらされました。
治療的観点からみた自己受容の是非:
自己受容や赦しは自分を甘やかすこと?
最後に私が自己受容と心の癒しがもたらされたと感じていることに対して、人によっては自分を甘やかすことになるのではないかと疑問を呈する方もいらっしゃると思われますが、これについては次のように考えています。
確かに自分を厳しく律することは物事を最後までやり遂げるためには必要なことです。
しかし人間には頭では「やらなければ」と努力しようとしても気ばかりが焦って、つまり気持ちが付いていかないことがあります。
自己愛障害の「悲劇のヒロイン」
私の体験した限りでは、このような心理状態のときに自分を責め立てたり(自己非難)無理にモチベーションを高めようとしても、それはむしろ逆効果になることさえあるようです。
そのような例として、できない自分に罪悪感を感じて自らを鼓舞することが「やらなくてもいい言い訳」に使われるケースが考えられます。
「自分は情けない自分を恥じて何とかしようと、ちゃんと努力している」こう思うことで実際は行動を伴わない努力に対して自己満足的な満足感が生じ、そのことが行動を起こさない自分の弁護(言い訳)に使われます。
その結果「自分は精一杯努力しているのだから、あとは他人が何とかするべきだ」との欲求が生じます。
この他人からの同情を誘い自らの欲求を満たすために巧妙に他人を操作する態度は(私も含めて)自己愛障害の人に典型的に見られるものですが、社会全体が自己愛化している現代においては、どのような人の心の中にも多かれ少なかれ存在する心理だと思われます。
ちなみに自分自身のこのような心理を私は悲劇のヒロインと名づけています。
悲劇のヒロイン状態のときの私は、面倒くさくて何もしようとしない自分に罪悪感を感じ激しい自己非難を浴びせはしますが、非難を浴びせるだけで実際には何もしようとしません。
自尊心や自己肯定感・自己評価を高める自己受容
実際の行動に結びつかず自己弁護に使われるような罪悪感であれば、それは有益なものとは言えず、それでしたら思い通りに行動できずに落ち込んでいる自分自身を共感的に受け入れる(自己受容)方が遥かに有益なように思えます。
なぜなら自己受容には罪悪感による自己非難とはまったく逆の効果、つまり自尊心や自己肯定感を高める効果があり、自尊心や自己肯定感の高まりは自己評価の高まりをもたらすと考えられるためです。
自己受容をテーマとした心理学の本